Pedestrian Monuments - Measured Monuments

 なんかこう、日記って歴史の堆積物なわけで、とりわけ一年一年恥ずかしいことを重ねている身にとってはちょっと洒落にならないぐらい恥ずかしい。日記にも書き手のパーソナリティが出るなあ、って今更ながらに思いました。私はどこにいっても大概は小説で、エッセイにはほとんど手を付けたことがない、ていうかない。だからこう、エッセイの美しい“ぬるさ”のような感覚があんまりない。あれって大切なものだと思います。俯瞰し過ぎぬように、注視し過ぎぬように。そういう感覚は、たとえばプロスペル・メリメのような古典的な書き手の作品の底にある、すごい用心だと思うのです。私はそういう用心さがあまり無いし、メリメは私淑しているけれど、時々はアンドレ・ブルトンのような、あまりに危うい歩み方にも惹かれてしまう。パトスと、物語とを構築する才能と。

 最近、物凄く驚いたことがあって、それはpedestrian(歩行の、歩行者)が「散文の」を意味するのに対して、measured(整然とした、慎重な)が「韻文の」を意味する、ということです。これは私にとって衝撃的な話で、というか最早カルチャーショックでさえあった。散文をそのまま物語と等号を置いているわけではないけれども、Measuredの韻文(ここでは「詩」と等号を置きますが)というのが成立し得るとは思えなかった。私にとって、詩とは、漫然と歩むことであり、豪奢な言葉の奔流を掬い取ることであり、散歩のようなものであった。少なくとも計画というものはなかった。散歩というよりは、放浪とか、当てのないぶらつきの旅に似ている。そうして詩魂の源泉に当たるまで、ぶらりぶらりと待つのです。そういうスタイルで私は詩作を続けてきたし、それは小説においてもそうだった。初めのうちはエスプリも詩もない。それが言葉を綿々と繋いでいくうちに、次第に詩が生まれてくる、あるいは音楽が。私はそういう鉱掘作業のことを物を書く、と呼んでいる。
 当然のことながら、論理というものは確かにある。言葉というものは半ば超魔術的な、こうしたナビゲーション能力を具えてはいるものの、それを信じ過ぎてはいけない、という直感がある。また物書きというのはそういう詩魂と論理のはざまをバランスを考えながら、両極の淵に落込まぬように慎重に歩かねばならない、そうした危険に満ち溢れた旅をさせられる仕事なのでしょう。また私にとって文学とは、当然詩魂は必要だけれども、論理を欠かしたものはそれは文学とは呼べない、と言ったのです。詩にさえ論理はある。筒井康隆の「文学部只野教授」の講義で読んで感心したものの、書き手の名前を忘れてしまいましたが、詩というものは構成や文法、韻が互いに互いを高め合っているのだと言う。論理の魔術。
 とはいえ、やはり私にとって、詩を書くということはPedestrianであり、物語を書くということはMeasuredなのです。だから凄く、カルチャーショックだった、これは。日本の詩歌は礼節としての、教養としての意義を持っていた為に、たとえば「ぬばたまの夜」のような極めてMeasuredな点を孕んでいる。ところが、文語から裂き出した、口語というのは、こうしたMeasuredな点を打ち壊す可能性がある。それはPedestrian以上に、詩の中に立体を生み得る、なにか、なのだと思うのです。それについては、まだ私は今掘り続けているこの言葉の文脈からは掘り当てられていない。

 ところで今、私は改めて日記について考えさせられている。日記でなければエッセイについて。エッセイというのはMeasuredなのか、Pedestrianなのか。エッセイにおいて最も大切なのは、自己を見つめ過ぎないこと、自己と適当な距離を取り続けること、というのがまず私の認識です。過度に見た自分(あるいは物体)はさながらゲシュタルト崩壊に見て輪郭を失い、また別の何かになっていってしまう(というのは勿論、ヌーヴォー=ロマンが嫌みたっぷりに教えてくれたとんでもない教訓ではありませんか)。実はエッセイというものは、最も文学に近い道なのかもしれない。Measuredであると同時にPedestrianである、というのは、私の定義においては、前述したことからも解っていただけるように文学なのです。

 だから私は、また日記を再開しようかな、と思っています。日記というものに現実の事象を持ち込んでくる気は無い。あえて言うならそれはこっぱずかしいのですが、その恥ずかしみというのも、おそらくは私の現実との距離感の取り方にあるのでしょう。私は前々から日記にはSelf-purificationが存在すると考えていた。物事を言葉に還元する——すべての物事が言葉からできているというのはいかにもロマンチックの過ぎた観点ですが——ことで、再度物事を構築していく。この構築の作業の中に、人は物事の浄化を見ることができるのです。だから人は「愚痴として」「泣き言として」日記を書き、そして大概の場合はそれで満足する。それを私はSelf-Purificationと銘打っていたのですが、恐らくこれも、Pedestrian(論理の無い現実、不条理的な現実)とMeasured(現実とは相違なる論理性)の間に事象が据え置かれることから得られた結果なのでしょう。人が文学に魅了されるのは、不条理(偉大なるカミュの美しい発見へ最大の賛美を)と条理(言語の論理)のはざまに自らを回帰させることを体験出来るからなのだと、今私は思います。

 ちなみに私自身、この日記の文章は物凄く読み難いだろうな、と思います。実のところを申しますと、私は日記を書く瞬間には何も考えていない。いや今だって何も考えていない。それはやはり、Pedestrianな言葉の論理の魔術に導かれて書き続けているものだからなのです。だからこの日記に的確な論理展開を見出すのは極めて難しいでしょう。ある意味ではそれは、アンドレ・ブルトンが語ったオートスクリプトに通じているのだと思います。

 作品目録。今、この作品群について語ろうとは思いません。

○「犬猫ソネチネ」(
○「ジムノペディの眠り」(
○「徒然河」(
○「グランド・ピアノ・ブリラント」(

 それと今は文芸誌を読んでいません。文芸誌よりも読まなければならない書物が膨大にあることを最近ようやく感じました。たとえば今のPedestrianとMeasuredの話は、アンドレ・ブルトン無しでは思いつかなかったろうし、メリメの冷徹なまでの古典的な観察性を知らなければきっと適宜な例を思いつけずに筆を擱いてしまったことでしょう。ロブ=グリエや、バルガス・リョサ、ドーデーの「アルルの女」やイブセンの「ペール・ギュント」等、読みたいもの、読まなければならないものは幾らでもある。文学に従事したい、という気持ちは最近とても強い。ただそれは、文学部に行くことが文学を学ぶ者としてのライセンスを与える、という認識には繋がっていません。私は、人が生きる以上は、文学を知らなければならない——また私達は生きる上で、驚くほど身近に文学を行っているものです——と思うのです。また英知は、半分までは言語が与えてくれるだろうけれど、また半分は原語を足場として高くを見やる者にのみ許されたものなのだろう、とも。

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【時祷音楽】むなぐらシュミレーションな話

 なーんかすごいどうでもいいことを話しています。「胸ぐらを掴んでくれって頼まれたとき人間どんなぐらいの力でやるんだろ」みたいな事を友人と話していてむなぐらシュミレーションを決行するぐらい、ゆるゆると生きています。まー吠えたり強面で迫ってきたり思いっきり引っ張ったりはたまたゆるーく優しく引っ張ってくれる人も居たりですが、個人的には「(お前を掴むのは)何か嫌だ」と言われたのが一番ダメージ的に大きかったです。サックスの人は天然サディストなのか。
 時間がないんでいろいろ加筆します。後付け最高。

(1)「時祷音楽」(→こっち
 リルケが好きです。リルケで遭遇したような単語をたかたかちりばめています。趣味です。インネンリウムとか、「ただ富んでいないわたしたちは、あるがままに貧しい」とか、「貧しいものの家は聖餐台のようだ/その中で永遠なものが食物となる」とか。リルケリスペクト。時祷音楽というタイトルもリルケの「時祷集」から頂きました。時祷っていいワード。
 リルケがさんざん言ってきた神様と、旅人と、機械をたぶん掛け合わせたような感じ。旅人は世界全部の表面を滑走していく。土着する精神は無いし、ずっと放浪する。それでも旅人だけは宇宙のどこか片隅で静止している。旅人は旅人を逸脱出来ない。
 この小説を具体的に書かせたのは、たぶんP・オースターの「偶然の音楽」だったんだろうなあ、とか。アメリカの風土をなぞるだけのナッシュの視点が好き。壁を建てていくことで次第に旅人であることを失っていくところも好き。そして土着寸前に至ったところで死を選んでいるようなところも好き。娘を放り出して死に衝突する、ナッシュのひどいぐらいの無頓着さへの頓着、にすごい感銘を受けたのです。後小川洋子が巻末に残してあるテキストも良い。「時間と場所がいくらスピードに乗って流れ去ろうとも、ハンドルを握るナッシュだけは“完璧な静止状態”にある、宇宙゛て唯一の“固定点”となっているからだ」。
 「ぼく」の敗北は、たぶん「かのじょ」との別れが旅の終わりだったから。でも旅を終えた「ぼく」にはもう清々しい沈黙しかない。ぼくはこれから、西の海の工場で静かに生き続けるだろうけれど、すでに「ぼく」のなかの旅人は片目だけ永遠の中に葬られている。旅人というのはもしかするとそういう種族なのかもしれない、と「かのじょ」に植え付けてみた。無頓着に頓着出来る生き方なんて、たぶん神様めいているし、同時に機械めいているかもしれない。「帰ってもいい」という選択肢が眼前にあって、そして頓着せずに無頓着でない方向を選択した「ぼく」は仮初めの旅人だった。けれど「ぼく」は旅人に憧憬することは出来る。だから「ぼく」は捧げる。旅人で居られないことは自明。またあるいは、旅人で居られないことが同時に旅でもある、すべての生命は時間化して流動。どうであれ「ぼく」は今、不可能の壁にぶち当たって幸福。旅人であるということは、宇宙の静止に耐えられる人間。音楽はあるいは宇宙の静止ではないのかもしれない。躍動、ディオソニュス的な、ものかもしれない。けれど旅は、拷問のように、アポロン的。
 好きなものを、一杯ちりばめました。中編コンテストに提出して結果は悪かったんだけど、すごく素敵な話になったと思います。未開の原始林をまさぐるような、そんな神秘の経験が、書きながらあった。シューマンが好きなので謝肉祭を埋めて、リルケが好きだから詩を埋めて、読んでみたいからスタニスワフ・レムを埋めた。すべてここに、自分がある。これ以上自分のために書いたテキストは、今までには無かった。だから何言われようとも好きです、この作品。個人的に大好き。

(2)「プラナリアは地図する」(→こっち
 プラナリアは山本文緒さんの小説のタイトルからかっさらっていきました。ちょうど谷崎由依「冬待ち」読んだばっかりなので、色々とモチーフ拝借してる。図書館とか。図書館は「冬待ち」の舞台があんまりにも素敵だったのでつい借りてしまった。
 中身は普通のカップル話というか、距離感を保ってみよう、みたいな話なのかも。「どうしてあなたは、わたしをわかってくれないの」「どうしておまえは、おれをわかってくれないんだ」というこのお話で、二人ともが無理解の関係。餌やりとか世話見してくれるとかで、結構依存しているんだけど、別に恋愛関係であるわけでもないし、ただどうしようもなくて二人で居てる。そんな二人がどうやって生きていけばいいのか、というシュミレーションで、分裂だったのかもしれない。パラレルを描きたかったのはあったし、東浩紀の「キャラクターズ」には物凄く影響を受けて、だからこう、ループする現在、のようなものを書いて、そこにある救済を求めたかった。結果的に救済は成し得たと思います。時々でいいから自分をやめてみよう、というのはすごく説教臭いしつまらないし月並みの文句だけれど、あれが物語の帰結として、そして分裂を肯定出来る自然なフレーズだったし、またわたしも最終的にキャラクターたちにそう予言される。人間もよく分裂してる。その分裂はあんまり悪いことじゃなくて、むしろひとつのチャンスぐらいに考えていいんじゃないかな、と思うのです。わたしはわたしをやめられるから、わたしでいられる、というのは、個人的には祈ってる。であったらいいな、って。

(3)「ロイヤルイチゴミルクティー」(→こっち
 何だっけ、壁井ユカコの小説にこんなタイトルのがあった気がする。確か着想はそこ。中身はちょっとお寒い。好きだけどちょいお寒い。
 中身も壁井ユカコです。壁井ユカコ大好き。
 語ることがありません。一時間で書いたやつ。家族という関係環ってやつ。微妙にこじれてるけどまーそれでも生きていけるからいいんじゃないって、すっごくゆるるーな話です。後「頬に冷たいものを感じた」は指定の書き出しだったので。

(4)「シュンポシオンのカレー」(→こっち
 プラトンの「饗宴」は好きじゃないっていうかギリシャ人があんまり好きじゃないです。だからわざわざ「シュンポシオン」と銘打たせていただきました。対抗意識っていうかね。中身は自己解決話。小説で自己解決って駄目なんでしょーか。自分もよく自己解決してしまうわけで、何かをきっかけに物事が変わったーなんてのを体感したことはあまりありません(困難に差し迫ったときは他の人に助けてもらうので、そういうときはすごく他人を有難く思うんですが、鬱ってたりすると基本的に自己解決)。そういう意味で中身はすごーく自己解決話です。やっぱ小説で自己解決って駄目かなあ。本当は結構みんな自己解決すると思うんだけどなあ。中身は下品です。下品なパワーみたいなものが何か書きたかった。ディオソニュスとアポロンは哀しいかなニーチェで、動物園は松尾スズキの「女教師は二度抱かれた」からの着想。

 音楽のはなし。
 2008年度吹奏楽コンクールの曲聞きましたー。「天馬の道——吹奏楽のために」がいちばん好き、躍動躍動ー。「晴天の風」はホルンがめっちゃめっちゃ格好良かった。なんかすげーかっこいい、好き好き。「ブライアンの休日」は特に思うところなし。「火の断章」は課題曲Ⅴとして微妙過ぎ、「風の密度」とか好きだけどなーんかなあ。「セリオーソ」は何か言う言葉が見つからない。「パルセイション」とかの系列なのかもしれないけどあれに比べるとめっちゃ劣る。
 GARNET CROWの「夢のひとつ」購入。「短い夏」が歌詞・メロディー共に好き。ここまで投げやりさを体現したメロディーって中々無いよね、ダウナーでいい感じ。ダウナーなんだけど根底は意外と爽やかっていうか、そういうのってすごく詩情の時間に似ている感じ。「Love Lone Star」は回帰だけどやっぱ歌詞がいいなあ、イントロにちょっと不安を感じるけど。ボーカルがすごくきれいに聞こえる。「夢のひとつ」は電子音が最高だ。おじさんは良い仕事してる、あの電子音が最高。歌詞も好きです何か。今回のシングルは「argentina」までのチャレンジは見られないけれどかなり上がり調子。GCは下手にアルバム出すよりシングル一杯出してほしいかも。
 鬼束ちひろの「蛍」購入。「蛍」はピアノバラード。時間=蛍のイメージなのかなあ。歌詞はシンプルになった分力強い。蘇生感覚。「Hide and Scream」はシンプルなアレンジが映える。今回のアレンジャーは全体的にすごい素朴な音楽造ってくるけど、それぐらいが今の鬼束さんに映えてくる。羽毛田さんとはたぶん別れた方がいいかもしれないなあ。羽毛田さんのアレンジはちょっと、人間離れしている感じ。光がありすぎたりその真逆だったりして、根底の力のようなものがどこかで失われてしまっている感じ。今回のアレンジャーの方にはすごく生命感を感じる。だから蛍は生きている、みたいな。
 「NHKアルバム名曲シリーズ」から「アランブラ宮殿の思い出」を。1000円でこんだけのボリュームは素敵。昔聞いたシャブリエの狂詩曲「スペイン」がやっぱり良かった、金管がすげー素敵だー。初めて聞いたファリャの「火祭りの踊り」はピアノがすげーかっこいい。後表題曲、タレガのアランブラ宮殿の思い出も良かったです。スペイン音楽素敵。ギター素敵だ。「アストゥーリアス」オススメ。

 読書のはなし。
 印象に残ったテキストは以下。P・オースター「偶然の音楽」、谷崎由依「冬待ち」、幸田文「父」、楊逸「金魚生活」、松尾スズキ「女教師は二度抱かれた」、東浩紀「キャラクターズ」、筒井康隆「文学部唯野教授」、チェーホフ「ともしび」「わびしい話」、よしもとばなな「新婚さん」「キムチの夢」「大川端奇譚」。時間が無いので随時感想追加ですぐう。

(1)谷崎由依「冬待ち」
 谷崎由依さんという人のことをよく知らなかったのですけれど、すごく良い小説でした。言語空間というか、インネンリウム(内部空間)の体積が大きい。同じ号の「湖水浴」「3という数字」が恐ろしい勢いでつまらなかったのに反して、この小説はすごく良かった。何ていうか、世界が広い。散策出来る。自由な世界。
 たとえば冒頭部の冷蔵庫の描写がいい。「扉を開けると、橙色の夕暮れのようにぽっかりと開いた空間がある。食べかけのピクルス、鰯の油漬けの瓶、ドライトマトが入った袋、封を切ってかなり立つベーコン、使い切ることのできないであろう幾つもの卵たち」とか。何というか、ヒキコモリのにおいがすごくふんわりと来る。珈琲のアンニュイさとか、埃だらけの部屋とか、鮮度の落ちた食材とか、この糸乃の世界が大変に美しい。「重要なことはいつも忘れてしまう」糸乃の、アンニュイで、ちょっぴりペシミスティックなんだけど、それでもゆるく生きている日常が、すごく素敵です。でも神秘なんだ、何かが、鉱石のように緻密に形成されている。図書館の描写。「木製の机に席を占める人々は、各々のうちに没頭している。その背中越しに窓の外の緑が光る。あからさまな昼の真下にいても、人々の裡には夜が広がっている。この夜の中では何にも曝されることはない。」そしてまた「窓の外の緑」の描写が次元的。「眼の端で緑の葉先がゆらめく。窓の外で欅が揺れる。ゆうらりい、ゆうらりい。この世のものとは別のリズムで。糸乃の目はそこにくぎ付けになる。欅の枝の、揺れるその動きの緩慢に、消える、すべてはこの一瞬に、夢と消える、と思った。」また部屋に戻って洗濯機。
 何ていうか、幻想的なんだけれど、すごく緻密な生活の上にそれがある。詩情というものは生活に接しているのかも知れないわけで、こういうスタンスが好きです。中身は関係性のお話なのかな。糸乃を取り囲む人々。名前が同じだったり愛してくれたり消え失せていったりしてしまう人々。でもたぶんこの小説の帰結は、糸乃がようやく季節感を勝ち得て冬待ち出来るように、新たなる出会いなんだと思うのです。だからエリオットの「荒れ地」なんだろーと思うのです。私達は「荒れ地」に生きていて、《きみの隣をいつも歩いているその三人目》に脅かされているのかもしれない。《関係性の荒れ地》はまさしく糸乃が経験してきたことで、糸乃は三人の宇宙の一要因として拘束され続けてしまっている。《何でも言葉にしようとする》惠子と、椎野と、糸乃と。糸乃は結果的に惠子に苦しんだ。関係性に射止められた。それは既に豊饒の地ではなく《荒れ地》。そして糸乃と椎野が消え失せた今、本当は糸乃は歩き出せるはずなのだけれども、香川という《雨傘のようにしか必要としない》シェルターを作ってまで《図書館のような》関係性に落ち着こうとする。それは無理なんだきっと。本当は接さないか極々深いところまで突き詰めてしまうかどっちかで、中途半端なことなんて許されない。だから二度目三度目の関係性の崩壊には、生半可からゼロに回帰する痛みが生じてくる。糸乃は《わたし》を持ち得ない、ある種のボヘミアンであるのだと思う。《わたし》を取り囲むはずの壁ばかりが成長してしまっているそんなボヘミアン。糸乃は「お互いを、理解、しようとする、こと」しか求められないのかも知れない、あるいは。お互いに苛立つこととか、極々ナチュラルに合っていいのにやらない。それはやっぱり惠子という人間の存在が陰影を落としているのかな。三人の関係性に微妙な高低差があったから、その円環は崩壊することとなった。《図書館のような》関係性とは、たぶん高低差の無い関係性のことだと思う。でもやはり香川が慧子に「会わせて」と云ってしまうように、そんな関係性は成立し得ない。でも本当に関係性ってそんなに大変なものなのだろうか、ということ。慧子があんなにも簡単に関係性を壊してしまったように、反悲劇的に壊してしまったように、実は普通のことなんじゃないかな、ということ。私達はそうやって日々関係性を看過している。最後に椎乃という、今はもう関係性を失った人の亡霊のようなものが告げにやってきてくれる。「書いてないことはすべて決まっていない」と。関係性とは書き込むことだ。意識して創造していくもので、そこには生命とかバランスとかはない。それだけのことなんだ、という。だから犬を飼う女性との、ただあれだけの短いシーンがラストを飾る。「寒さそのものになってしまえば寒さを感じることもない」という糸乃。関係性の凍結そのものになるということ、すべてから断絶するということ、そうすれば関係性の凍結に心穿たれるようなことは無いだろうから。でも本当はケイコという名前に惠子あるいは慧子を書き込んでいる程度のことでしかないのだから。だから冬待ちは終わる。冬待ちをする必要は無い。《春がほどけていく気配》を、本当にボヘミアンになった或いはなってしまった? 糸乃はもう、冬の荒地を歩く必要は無い。そして私達は皆三人目を持っている。《彼女(おそらく慧子)は人間だった。そして私たちは二人だった。誰かがいるような気がしながらも。誰か。それが三人目というやつなのだろうか。そこに映る像のように、ちょうど彼女を鏡にして。》たぶんその三人目は既に失われた惠子であって、もっと遠い色んな誰か。私達は誰かと接するときに、たとえ偽りの《図書館のような》関係性の彼方に居た人であろうと、その人の記憶を投影しながら視ているのかもしれない。つまり私達の《関係性》は永遠に壊れない。関係性はゆっくりと鉱物になっていく。或いは氷に。だから糸乃は悲観しなくていいんだ。関係性が壊れることに恐れて、でも関係性が皆無であることにも居られないからといって《図書館》の「夜の闇」に眠る必要は無い。私達は荒れ野に生きている。つまりは、心臓達が血を通わせる荒野に。だから冬待ちじゃなくて、もう春待ち。

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【カテドラリア】ここ最近はまっているゲームが日本一とstingとGUSTに限定されている

 いや……うん……タイトルは気にしちゃ駄目なんじゃないかな……

 ネット(執筆)に費やす能力を現実に持ってきたら良くねって友達にマジレスされて死にそうなRaiseです。こんばんは。現実での能力をネットに持ってきてるだけでそんなにのめり込んでいるわけではありません。でもイベントとか立て込み過ぎててちょっと死にそう。ハードワークばんざーい。

 高校生になってからオーラルコミュニケーションの時間が加わったわけで、エッセイとかゆるゆる書いてました。今読み返したら何かにーちぇとかいう単語があったけど気にしない。学校の宗教行事の話がいつのまにか宗教全体に拡大した話になってたり好きなテレビ番組の話がどうして日本人の批判になったんだか、自分でもよく解りません。トランストラップに引っ掛かってます、もう。無意味なことに情熱を燃やすのが大好きです。ていうか意味のないものなんてないんだったら、無意味じゃないものなんてそれこそない。とまあ、中二ロジックで無様に開き直ります

 それと情報の時間でプレゼンテーションやったんですよ、プレゼン。しかも馬鹿げたことに自分から立候補したんですね、だってせっかく作ったのそのまま放置しておくなんて勿体ないじゃないですか。でも思えばこういうのって毎回周囲とテンションというか周波数がずれてるというか、空回りしてるんですね。今回も例に漏れません、ええ。スピーチも考えずに、しかもプレゼンのスライド一枚目に貼ったのが「Serial Experiments Lain」のDVDケースでちょっと意地悪すれば美少女アニメに見えてしまうような有り様で、二枚目になれば「アダルトゲーム」という単語が飛び出して……みたいな。テーマはサブカルについて割と真面目に話したんですけれどいかんせん私の話の運びが悪かったです。緊張し過ぎてもう何喋ったのかも覚えていません。そろそろクラスで4メートルぐらい浮いてきました。泣きそうです。
 ヘッセの小説とかなら自分はたぶん自殺するタイプ。情熱的ではないが。大江健三郎の初期作品だったら青臭いこと吐いて周囲から冷たい目で見られた揚句とんでもない失敗をやらかしそう。そんなことする勇気もありそうには無いけれど。開高健のだったらまだ馬鹿にされるぐらいで済むか。いやそれでも銃殺ぐらいはされそうだ。幸田文だと結構真剣に軽蔑される。






 自分で書いていてネタを挟む余地が無さ過ぎて泣きそうです。それはもう、子安ボイスの魔王がプチヤンデレちっくな密告者さんに「結婚して」とかいきなり押し掛けられたあげく「結婚してくれなかったらあんたの家ぶっ壊してくもん」とか脅される某赤王国で、フリーダンジョン28階ぐらいで超ワイドファイアとかをたたき込まれて全滅、みたいなぐらいに悲惨です。ソウルクレイドルの部屋鍛えで六十階層ぐらいまで進んだ揚句フリーズしたときとかふて寝しました。後某赤王国っていうか要はファントム・キングダムで凡用キャラクターに付けた名前が気がつけばカリオペとかハルモニアとかで「ああ、自分ののーみそってまだまだ春真っ最中なのねー」とようやく再確認しました。遅かった。あまりに。
 ソフマップの中古ゲームでドラゴンシャドウスペルを買うべきかディスガイアを買うべきか悩んだ揚句に前述のファントム・キングダムを買ってしまうような第三選択肢(くめたこうじ信仰ですが何か)っぷりを近年発揮しまくっている自分に乾杯しながらさあ小説紹介から今日もてけとーなことを。

(1)「カテドラリア」(→こっち
 RPG的小説観とでもいうのかなあ。最近私はそういう話しか書いていない。形式張ったやり口でこざかしい、つまらないものを神様の落とし物みたいに律義に拾いこむ、そんな主人公しか書いていない気がする。「カテドラリア」はそういう限界性を突破し切れてないんじゃないかな、とかね。書き手がインドアだからかは解らないけれど、相変わらず行動範囲は狭い。聖なる丘と銘打ったただの平地から、主人公は可能性を摘み取っていく。今サルトルをちょこちょこと読んでいて、それであの可能性切り取り型というか、そういう舞台が思いついたのだけれど。多重構造というか、私達が生きている世界とかいうのは、ああいう具合にチープでもいいと思うのだけれど、いかんせん私の未練というか、そういうものが残っていてしまっていて、バイキングでありったけ取ってしまった皿みたいな様相にはなっている。個人的には好きな部類なんだけれども。絶食芸人云々の項はカフカの「絶食芸人」を思い出しながら書いた。カフカは「家長の心配」が好きだ。物語は私にとっては指向性というか、現実に着地させてしまうようなもので、何だか怖いものがある。それでも踏み出さなければいけないのだろうけれど。

(2)「わたしがトト・トイレで旅をする」(→こっち
 私にとって小説を書くことはそんなに偉いことでもなくて、そういう意志を表明したくて「わたしがトト・トイレで旅をする」を書いた。これもRPG的というか、まあしっちゃかめっちゃかに舞台を投げまくって進めていった。序盤が陳腐で痛々しいのは仕様で、とにかく「薄っぺらい感じ」を出したかった。しかしそれが後半で本当にモノホンになれてる、というと疑問かなあ。最近の自分のもやもやをそのまま練り込んで、自己嫌悪に陥って、とりあえず自分を安っぽいやり口で叩いたりして、けれどまあ、何というか、あまり悩まなくなった。いい加減扉を開いてどこかに行かなければならない。そしてまあ、また私はドア越しでこういう具合に躊躇ってしまっているのだけれど。でも、これは私にとってはひとつの分岐点、のような小説だと思う。小説を書く、ってのはご飯をたべるとか、トイレをするとか、そういうことと変わらない気がする。わざわざそういうことを表明するあたりに自らの浅さを感じはするけれど、これは確かに分岐点なのです。

(3)「そして天上電車に見捨てられ」(→こっち
 ぶっ飛んだのが「そして天上電車に見捨てられ」かな。とりあえず、パロディというか、神聖なような何かを思いっきりけなしたくなったので、死をけなしてみた。ライトノベル的というか、記号的な外套をキャラクターにかぶせて、それを全部一色のなにかに変形させてみる。主人公はせっかく生き残ったもののその一色に覆いかぶされている。主人公をそこで負かすわけには行かなかったので、とりあえず開き直らせた。子供を育てるって大変、だからのオイディプスでもあるし、いずれ乗り越えられるべき父性という存在に収まってしまったからこそのオイディプスでもあるし、何より自分の子ではない、何者かの子、血族ではない誰か、そういった他人をも子供と育てられてしまえそうな今日この頃へのパロディ、ということで。これも気に入ってる。こういう文体はすぐに飽きられてしまいそうだろうけれど。主人公が饒舌過ぎて、いろんな人の甘言にほだされて、そんでもって妻のことは投げ出して、子供は他人でもよくて、だが主人公はそれでも生きていく、迎え撃っていく。そういう無責任で汚らしくて怠惰で駄目な野郎も書きたかったのです。それと書き終えて一週間ぐらいしてから気付いたけれど、これは久米田先生の影響、たぶん。かってに改蔵から好きです。

(4)「片割れ船わるつ」(→こっち
 夢の話を書きたかった、ということ。日記、とか、あるいは小説、おそらくは後者の方がより結びつけやすいだろうけれど、今、そういうものは誰かに向かって開かれるわけであって(それはもう、小説ストーリーテラーというサイトや、無数のブログが示してくれる通り)、でも読み手は要らない。誰でも無い誰かに支配されていたい、みたいな、何だろう、そういうものを感じる。でもだからといって、あの海は未だ浅い電脳の海、とかいうつもりは無い。ウェブはあんなにも献身的で、長ったらしく、口うるさい収集人を持ち合わせてはいない。だからあれは夢。でも私は小説や日記のようなものをああいう具合にすくってくれる存在が居てくれてもいい気がする。あくまで想像でしかないから、あんな具合に孤島しか舞台に選べなかったのだけれど、言い表し難いけれど、私達は反射している。日記は事実に、小説は虚構に、反射している。いつのまにか書き手の手を飛び離れて、魚のようにして、ぐるぐると見知らぬ海を泳いでいても、そんなに不思議ではない。片割れ舟わるつ、と置いたのは、いつのまにか私達の手を離れていってしまっていて、価値のような何かも失ってしまっているのに、何故か独立してくるくると泳ぎ回っているあたりから。

(5)「ざくろの門のカルフィエ」(→こっち
 「ざくろの門のカルフィエ」は音楽のような何かを書きたかった。音楽的、終わらない音楽的なものを書きたかった。カルフィエは神様、のような何かでも、運命のような何かでも、どうでもいい。そこにあるのはラッパとヘタクソな奏者だけなので、彼が誰なのかはどうでもいい。カルフィエのラッパのように、中身もテンポがめちゃくちゃで、全く馬鹿げた内容になっているけれども、好きだ。

(6)「リトル・グレイシャス・カモミール・ワルツ」(→こっち
 雑記的なもの。現実だってものすごく物語的というか、扇情的というか、そういうことを確認した。あるいは私がそう装飾しただけなのかもしれない。陳腐な装飾ではある。ナルシシズムに満ち溢れている。でもまったくもってそういう他愛の無い話を奇妙なぐらいに誇張して、とにかく、こんな下らない話を、最前線に置いてやりたかったのだ。雑記、雑記だからこそ、たぶん私は書かなきゃいけないのだと思う。

 音楽に関しては霜月はるか聞き出して「あしあとリズム」「ユラグソラ」「箱庭ノート」「Orbital Number」「ティンダーリアの種」。個人的には「恋獄」「硝子の月」「蝶」あたりが好きかな。「あしあとリズム」「遠い伝承歌」、それから「セカイハカガヤク」とか。アルトネリコ系列で来ると「月奏」「Exec.Re-nation」「Exec.Viena」あたり。OSの都合で出来ませんけれども、Innocent Grayのゲームがやりたいです。年齢の都合でも出来ないし買う勇気も無いけどね。「音のコンパス」が大いに楽しみ。
 JAM PROJECTを一ヶ月だけ聴いた。熱しやすく冷めやすいというか、恥ずかしくなってくるというか、余裕が無くなる音楽だというか、疲れる。「Rising Force」「紅の牙」「迷宮のプリズナー」あたりが好きだった。
 霜月はるか繋がりでBarbarian on the grooveにも手を出す。志方さんから入ったけれども、同人音楽は良い。とりあえず「Arco-Iris」と「Diorama-Shade」から。前者だと「エテルノ・ソルダン」「グレイ・ヘヴンズ」がぶっちぎりの良さ。インストの「Cloudiness」のミステリアスさも好きかな。後者だと「楽園」が一番。あのアンニュイな滑走感はたまらない。
 eufoniusは「メトロクローム」ゲット。予想通り「Sign」「シラタマ」がかなり良さげ。前者は「ナルキッソス」の模倣になりかけるかと思ったけれども、有機的なサウンドでがりがり、執拗に引っかいていくのは新しい、心地よい。「Indelible Name」にもその気は見られるけれどこれは劇音楽だからか退屈な意味で落ち着きが無い。その点「Sign」はよく出来ている。「シラタマ」はeufoniusにしか出来ない童謡のような楽曲。「Angel On tree」の系列だけれどもサウンド構成がかなり新しくて耳に心地よい。素晴らしい。「ラクガキ」のリミックスはやや盛り込み過ぎ。ストイックさ、のようなものが好きだったから、ちょっと。「ちいさなうた」は変化箇所が解らないけれどやっぱり良い。「夕空ワルツ」は「ぐるぐる」の系列を思わせるゆったりさ、心地よい。「Flare」「Plage」はコーラスだけで責めるそれこそしもつきんや志方さんのような楽曲だけれどこの声でやられると意外と気持ち良くてびっくりだった。「メトロクローム」はサビに「ラクガキ」に似たストイックな格好良さを感じる。「Angel on tree」と同様の落とし込み方には少々落胆させられたけれども。全体的に良曲揃い。
 ASIAN KUNG-FU GENERATION「未だ見ぬ明日に」を。「ワールドワールドワールド」以前の楽曲に回帰したというか、音の厚いアジカンに戻った。「脈打つ生命」は完全に回帰。「サイエンスフィクション」は「ワールドワールドワールド」のボップさに音の厚さをきっちり付加してる感じ、好感。「ムスタング」は「君の街まで」の甘さを渇かせて引き締める。「深呼吸」は流石のトーン暗めの曲。「サイレン」や「バタフライ」のような楽曲が好きだった自分にはちょっと物足りないけど心地よい諦観のようなものを感じる。「融雪」は音の引っかき具合が心地よい、「桜草」を豪華にしたようで、単調なのに飽きないし、縦横無尽に行進してくれる、好き。「未だ見ぬ明日に」はイントロが素晴らしいけれども、模倣の感あり。嫌いではないけれども。

 読書に関してはカフカの作品集ゲット。「絶食芸人」「家長の心配」あたり掌編小説を読んだけれどとても素晴らしかった。次は「流刑地」かな。これも面白い。川端康成「骨拾い」でようやく川端に対する反感が治まった。凄くいい、これ。「処女作の祟り」とかが面白かった。題名は忘れたけれども時雨の駅の人妻云々の話が手短にまとまっている。図書館の「実存と虚無」なんていう本にようやく手を出した。サルトルとハイデガーの抜粋を読んでいる最中、キルケゴールとかニーチェみたいに楽じゃない、でもとても興奮するというか、自分の無知を再確認させてくれるというか、ともかく、面白いのだ。特にサルトルに関しては外のも読みたい。「否定の起源」が物凄く面白かった。これに載ってるカフカの「日記抄」とカミュの不条理云々の奴も早く読みたい。カフカとカミュは未だに好きだ。

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【月泳ぐ・ピアニシモの日々で】終わる

時間が無いのです。今から高校に入学するんです。
ということは今はまだ中学生なので、今のうちに紹介しておきたいのを置いておきます。節目だしね。きっちり最後に片づけたい。

●「月泳ぐ・ピアニシモの日々で」(→こっち

何かがひとつ終わる、というのはとても偉大なことだと思います。そういう終わりを受入れる話を書きたかった。やさしく終わっていける話、とか。
枚数は掲示板ごと貼ったら170枚だったんで、まあ150〜160枚ぐらいだと思います。高校生になるまでに何とか終わらせれた。ひとつの記念碑としてここに置いておきたいなあ、なんて思ったり。初めてのちょっと長い奴。嬉しい。
そんな訳で、高校生になってきます。

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【豆腐カプリッチオ】信楽時計は卵焼き男爵の夢を見るか

 鮭『卵焼き作ったのって卵焼き男爵なんじゃね?
 全世界にこの発言を発信するための今回の投稿です。これを本末転倒と言われる方も多くあられるかもしれませんが、それは神子を片方しか揃えなかったダサカコイ村長とウズマーキ村長(CV.眼鏡の某大佐)と同レベルの間違いだと思ってください。今の内容を要約すると『クローシェ様かわいいよクローシェ様』なので、読み飛ばして下さっても何ら問題はありません。後近年アニメをまるで見ません。
 後某銀髪の盗賊王さんと某クラス内ODAの難民さんと黒ーしぇ様の声が同じなんて、そんなことは決してありません。同じなのは眼鏡のガンダムマイスターさんと絶望先生ぐらいなものです。美しければそれでいい。

 ちなみにこのブログそのものは言わば番外編なのです。中学二年生ぐらいの子が何か書き出すと「外伝」とか名を付けて訳解らん学園ストーリーを展開したり、「外伝」と名の付いてるシナリオは本筋には全く関係無いただの武器収集シナリオだったり(しかもそれが最初は荷物&回収しないと真エンドに辿り着かない)無意味にフルボイスのエテリア収集シナリオだったり、番外編にはとかくロクなことがありません。何の番外編っていうと本筋そのものが無いようなネットの執筆活動。

 あえて喩えるとこのブログは焼肉ソーダ程にも値しない情報のふきだまりということです。しかし、時のふきだまりでは「あ、これ忘れてた」という製作者の呟きと共に空気キャラが精算されていきました。それを考えると、ふきだまりはおいしいところなのです。「キーリ」の砂の海の果ての描写は逸品でした。School daysのふきだまりはSummer daysでした。ラブコメ気取りのふきだまりは炭素生命体と戦う燃え鬱ゲーでした。サブカルチャーの発展を支えるのはふきだまり、つまりは副産物です。ちなみにここまでの内容を要約すると『ルカ=メンヘラバイオリン娘』なので、スルーして頂けば幸いです。

相変わらず前座の長いフルコース風の当ブログですが、中身は大したことありません。最下層の宝箱は1ルピー。SO3とTOD2の戦闘システムの良さはシナリオに落胆する為の前座まほろまてぃっくはこの美しくも醜き世界の壮大なる前座であり、更に言えばアニメ本編が高橋洋子の為の前座であったわけです。力を操るのどーたらこーたらの女騎士も当然ツンデレかなんかに落とし込まれてしまう前座(女騎士って時点でツンデレフラグ立ち過ぎジャマイカ……)です。副産物がサブカルを支えるならば無意味な前座がそれを陥れる。しかしオボンヌの(ヒロインの声優を際立たせる)前座っぷりは偉大でした。親切にここまでの内容を要約すると、『ヒロインがどうのこうのでソル・シエールの終わりで喧嘩しつづける俺の嫁厨ってきもいよね』ってことで、オリカはもう嫁でいい。

以上ここまで引っ張った意味は全くありません。一応ここまでの話を全要約すると『OVAどうなってんの?』であり、『バロックオンライン化まだなの? ねえねえ、まだなの?w(AA(ry』なわけです。バロック欲しい。後最近やったSFCのトレジャーハンターGがSTING製作でつい笑ってしまったという話でした。

(※真の意図が単なる字数稼ぎという無粋な突っ込みは受け付けません)

 小説紹介。全世界に恥発信と読めばいいよ。

(1)「豆腐カプリッチオ」(→こっち
 三語「豆腐・ぐるぐる・ヒーロー」に寄せさせて頂いた作品です。投稿分の最後が《終幕》とか、名前が凄く痛々しかったりとか、そんなことはどうでもよいのです。しいて言えば「抱きしめ」と「きしめん」程度の違いです。
 豆腐です。豆腐上手いです。そんなことは単に脆弱さを表わすファクターでしかないんだけど、近年のRaiseは一人称が怖いわけです。私達は何かを見る時一人称越しでしか見れない、ということ。とても当たり前のことなのだけれどとても怖い。神様云々に関しての話もそうのだけれど、キルケゴール曰く、神様は異質なものであって、彼定義するところ異質なものとは絶対不可侵の領域のようです。じゃあ神様って何ですか、って聞かれたとき「神様」で答えちゃ駄目なんだろうか、と思うのです。とっても愚かしいこと。でもそんなことを練り込んでみたり。私達のキャラクターは一人称ですか? 僕にはよく解りません。でも一人称を越えれたらそれはそれで面白いかも知れない。三人称は結局作者の一人称と大差無いんですけれどね。あれも自我の抹消と考えるべきなのかな。それを考えるとヘミングウェイの「老人と海」はおっとろしく偉大だった訳でしょう。自我を滅するその精神力は凄い通り越して恐ろしい。ヘミングウェイ殆ど読んだこと無いんですけどね。
 そんな脆弱なものたちがカプリッチオ、ってのが、私達だったら、寂しい。

(2)「アンノゾ祝祭譚」(→こっち
 小説ストーリーテラー短編コンテスト最終回提出作品。
 たとえば「世界」というものを僕が言ってそれがどうして滑稽かと言うと、そんなものは「世界」ではなくて、正しく言えば「僕が見ているもの」でしか無い。そんなことを考えているうちに、「世界」を表現する、ということがどういうことなのか、段々解らなくなってきた。だから情報量を積め込んでみたい訳なのだけれど、たぶん短編に相応しいことじゃない。それこそこれは敵意有る「世界」という一塊でしかなくて、カオスではない。価値観は統一されていたし、殆ど考えていることは一緒。ということでこの試みは完全なる失敗だったと言えます。それこそ長編でやった方がいいのかもしれない。
 クロニクル文学、というのかな、たとえばガルシア=マルケス「百年の孤独」桜庭一樹「赤朽葉家の伝説」、他には大江健三郎「同時代ゲーム」みたいなもの。そういうのに近年は憧れるわけです。でも「世界」を貯蓄しようとしていったとき、そこには「停滞」(日常化、のようなもの)の毒がある。だから彼らは時代を動かした。そうすることでしか毒を払えなかったのかもしれない。そういうの乗り越えるのも楽しいかも知れない。出来るだけ下らないものを列挙して、出来るだけつまらない日常を「世界」と呼べるまでに作り上げてみたい。もちろんそんなことは「この世界で一番大きな数は何ですか?」と言う問いかけぐらい愚かしいことなのだろうけれど、でも、一回ぐらいはやってみたいのです。月ピニが終わればやりたいところです。
 ちなみに最終回ということで第二回の「巡礼祭の聖行列」に引っかけて祝祭やってみた訳なんですけど、どうも乗り越えられなかった気がする。我ながら残念な作品だったなあ、とか考えたり。でもこの試みだけは続けてみたいところです。或いは小説というのは皆そういうものなのかもしれないですね。四次元でしか表わせない「世界」というもの、架空のカオティック・レコードとして。そこには筋書きはあるかもしれないけれど、それを消すのが力量というものなのかもしれない。勿論自然さは不自然とも何処かで繋がっているけれど。バランス、なのかもしれない。

 音楽音楽。
 アルトネリコ1・2の志方さんの音楽回収。ミシャ様(様と付けるのは多分病理)の「EXEC_CHRONICLE_KEY/.」「星詠」とクローシェ様(様と付けるのはry)「METHOD_IMPLANTA/.」「澪」の四曲あたりが心地よかったかな。「澪」の力強いコーラスは絶品としか言い様が無い。「星詠」の美しさも良いけれど、あれはたぶん「謳う丘」とセットで味わうべき作品なんだろうなあとか考えたり。途中で入る「謳う丘」のメロディだけって訳じゃないんですけどね。「EXEC_CHRONICLE_KEY/.」はストリングス・コーラス共に繊細ながらに力強く美しい。これも志方さんの曲として記憶していく曲でしょう。
 それからしもつきん(霜月はるかさん)もアルトネに釣られて回収です。「白夜幻想譚」は土屋的民族音楽&メリハリ付いたメロディが美しい(「謳う丘」のルーツなんでしょう、おそらくは)。「硝子の月」「EXEC_LINCA/.」は優しさ漂いながら、どこかが壊れてしまっていて、それを受け止めてしまう、そんな華奢な何か。「月奏」はただただ神秘を謳うのみの曲なのだけれど耳には心地よい。オリカバージョンの「EXEC_PAJA/.#Orica extracting.」は戦闘BGMとしての枠を越えた飛翔ある、どこか一本骨のある音楽。「蝶」「ココニアルモノ」はダークなギターがホントに気持ちいい、前者の希望への寂寞は後者にも通る。それから「カザハネ」のメロディの飛躍も聞き逃せない。「護森人」はコーラスがいきなり印象的だけれど、力強い破壊サウンドにぐっと持っていかれる、生命流転、といった感じ。相も変わらず煩雑ですがこんな感じです。

 読書に関しては薄く、キルケゴールの作品集をちまちまと。その間に泉鏡花「高野聖・歌行灯」(何この人めちゃくちゃ可愛いんですけど)と村上春樹「風の歌を聴け」を読んでる最中。それから桜庭一樹「赤朽葉家の伝説」ちまちまちま。
 ゲームに関してはアルトネリコ1クリア(ミシャエンド、うさぎ好きの寝取りヒロインなぞ認めません、幻想水滸伝4積み、アルトネリコ2クリア。
 そんなものですね。バトンも無いので今回はあっさり終わります。

 

※一番最初のかぎかっこは何にも繋がりません。

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【けもの謳う】腕の痛いオボンヌ

 で、要するに、僕も腕が痛かったので、ブログを更新出来なかったのです。どうも近年は「腕が痛い」で船長の努めを放棄するのが許されているらしいので、僕もその時流に乗取って都合の悪いことは全部「腕が痛かった」でごまかそうと思います。早速某サイトでのイベントのgdgdっぷりとか実は某裏チャは自分の自演から始まったんだよとか色々都合の悪いことを今からごまかそうと思います。たぶん主人公の声がひどいことになってるのも腕が痛かったからなんでしょう。それなのに皆から非難されるオボンヌの中の人がかわいそうで仕方ありません。
 以上の話は要約すると「アルトネリコが面白過ぎる」という意味なので、適当に読み飛ばしてやってください。たとえ某サイトの短コンで偶然「星蝕」なんて単語が出てこようとも、それは変わりません。ええ。変わりませんとも。
 でもライナーの声に途中から馴れてきたんだけど、末期なのか。そこまで悪いとは思わないんですけどね。

 てなわけでこんにちわ。
 小説紹介。スランプに陥って鬱になって死んでました。自分ごときがスランプを語るにはまだまだ早いような気がします。冬は何かとしんどい。うー。

(1)「マタニティア」(→こっち
 津島祐子「青空」読んだ後に志方あきこ「ロマの娘」聞いてて書いてるうちにあんなのになりました。んー。あまり好きではありません。正直に言うと嫌いかな。「乳と卵」に影響受けてるわけではないんですが、ちょっとあれは無神経過ぎた話だったと思うのです。少なくとも僕は男だから出産の痛みを理解出来ないし、マタニティ・ブルーなんて取り扱うには全然筆力が足りない。だから逃げた、って感じかなあ。どうであれあまり好きな話ではないです。ただスランプから抜け出したくてとりあえず何か書かなきゃなーとか思って書いた話。ちなみに今までで一番嫌いなのは「えもちにあ・もちおにあ」です、これはホントで。とりあえずこの路線ばかり歩くのに飽きたのかもしれない。飽き性だから、もっと別のが書きたいのかもしれません。マタニティアという語の語感自体は好きなので(テイルズ厨なのです←結論)またリライトするやもしれません。でもやっぱりこれはひどかった。

(2)「うたかたに継がれた」(→こっち
 坂本真綾「スクラップ 別れの歌」を聞きながらです。別にあれですよ、「ジャンク」とか言うとやたらと反応するドールの影響を受けたわけではありません。とりあえず、何かとても悲しい話を書きたかった。タイトルは、うん。何ですかね。あれです、「うたかた」だからです。僕はあんまり悪くない。
 そういや昔から記憶に関しては興味があるのです。何だろう、ひとりの人間を人間たらしめてるのは結局人間性とかじゃなくて、記憶でしかないんじゃないかな、っていうところ。岸田秀の唯幻論にちょっぴり惹かれたわけなんですけどね。うたかたに継がれた、というのは、シャルルと雪人形の間だけじゃなくて、おばあちゃんとシャルルの間でも充分成立っていることです。夫や息子の遺品をシャルルに着せる、というのは、そこにある物語とか記憶を刻み込む、一種の儀式的な行為なんじゃないかなあ、とか。雪人形の彼もたぶんまた人形を作っては自らの物語を継がせていくのでしょう。それが浅ましいとかそういうことじゃなくて、純粋にそういうことを書いてみたかったので、書きました。自分では好きです。
 他にも色々あると思います。本来のアイデンティティとは異なるアイデンティティを与えられた苦しみとか、そういうのも書いてみたかった。人間がそもそも己のアイデンティティを持ち合わせられるかどうかは解らないけれど。
 結局シャルルは街全てをおばあちゃんの弔いに使うのです。おばあちゃんはシャルルを愛していたのではなく、そこに刻みつけた記憶を愛していたのでしょう。シャルルはおばあちゃんをどこかで憎悪している。或いはそういう人を。おばあちゃんの死は廃虚の街に置き換えられる。そんな感じかな。
 個人的には結構好きでした。まだまだかなり粗いですし、気が向いたら修正するべきかもしれません。まだまだ浅い。

(3)「けもの謳う」(→こっち
 謳う、と来たらもうどうしようもありません。志方あきこさんの「謳う丘」の三つのバージョンを聞きながら、まったりまったりと。何だろう。神話的とか母性的とかそういうのを書いてみたかった。或いは失ったことで満たされる何か、とか。
 もちろん朝喰い=クアであるのですけれど、どうしてそうなったのか、ということは書こうとは思いませんでした。たぶん短編コンテではそこら辺怒られるだろうなあ、とか思ったり。大いなる淀みとか、色々書き込んでいないところがある。これも要修正だと考えてます。楽しかったんですけどねー。或いはあの短さで終わらしてみたいかもしれない。
 求め合うことの残酷さ、とか。両眼を縫われている女の子、っていうイメージはいかにも厨臭いけど、結構好きでした。この作品で書きたかったのは、執着心のようなものだったと思うのです。執着心ではない。母は「僕」の眼が見えなくなるのを嘆いているけど、どうしてそれを嘆かねばならないのか、とか。朝喰いを殺すこと(つまりは自殺)に執着してみたり。クアも執着心のようなものの塊だったりするんです。丘から出ず、贄の娘としての役目を果たし続ける。死者の願いを盲目的に聞く。おそらく「僕」を朝喰い殺し(自殺)に走らせたのは母の死ではなく、母性ほへの執着があると思うのです。クアは母性を失いながら、どこか母性に似た優しさで死者達を癒しているけれど、それもやはり母性に対する執着がある、けれどそこには真なる母性というのはないのではないか、という。朝喰いは母性と執着心が混じり合ったものが生んだ獣、みたいなモチーフ。互いに母性に対しての執着を持ったふたりが、互いに喰いあうことで、満たされる。或いはどちらも苦しさから逃げ出したかったのかもしれない。愛をもって互いを解放する、みたいなもの。
 我ながらかなりぐだくだな解題になってしまった。でも楽しかったです。

 音楽の話。
 まつもりくん(仮名)に勧められたeufoniusの「Σ」というアルバムがなかなか良い感じです。「fantajius」と「ナルキッソス」が良い感じかなあ。この透明で歪んだサウンドがなかなか気持ち良かったり。何だろう、このバンドの音楽は歪みを重ね合ったところの透明感が心地いい。村上竜の「限りなく透明に近いブルー」のガラスの破片の描写のところみたいな、あのノイジーな透明感。きもちいい、これ。
 志方あきこさんの「廃虚と楽園」をようやく入手。「ロマの娘」は言うまでもないですが、「Se l'aura spira」の引き締まった光の感覚も大好きです。「まほろば」とかだと光をばばーんっと広く優しく降らしちゃってるのに対して、「Se l'aura spira」には引き締まった光量がある。そこに限りなく深い許しのようなものがあるように思う。何だろう、慈悲みたいなもの、賛美歌っぽいからかな、そんなこと考えたり。他に好きなのは「ラヂオ予報」かなあ、この伸びやかな高音部がとってもとっても心地よい(それでいて、すごく気まぐれな韻は、聞いてて楽しい)。志方あきこさんの歌はメロディーも凄いんですけど、韻が滅茶苦茶楽しいんですよね。「ロマの娘」とか音源に合わせて歌おうとしてもなかなか出来ない。韻が波のようにゆうらゆうらと揺れていて、それがとても楽しいのです、この音楽は。
 それからFictionJunctionに手を出しました、全ては梶浦さんが悪いんです。今のところ気に入ってるのは「everlasting song」のオリジナルバージョンと「silly-go-round」「荒野流転」「暁の車」「angel gate」あたりかなあ。「nowhere」は正直あまり好きになれないのです。梶浦さんの歌詞は言葉の質量が好きです。
 「everlasting song」は疾走感がたまらない。ここら辺牧野さんの「ウンディーネ」(あれも僕は疾走感のある曲だと思うんですが)と重なるんですが、このスピードといい、流れるような英語詩(韻がまたたまらない!)が本当にすごい曲です。ちなみに日本語バージョンは嫌いです、あの疾走感をちょっと押し殺してしまってるところがある。単なるスピードの違いかもしれないんですが、物凄く大きいんじゃないかな、と思ったのです。日本語詩が良いとか悪いとかじゃなくて、この曲の走り具合には英語詩の気まぐれっぽさの方が良い。何だろう、英語詩っていうのは、全体的にくーるくる、というか、何だか回転してるような感じなんですよね。たとえば坂本真綾さんの「afternoon repose」とかもそうなんじゃないかな、っていう感じ。でもホントにこのくーるくる感がたまらない曲です。
 「silly-go-round」はピアノの緊迫感が好きです。それでももっともっと前に出てもらいたい。僕がこの曲を評価するのはピアノと、それからコーラスかな。このコーラスがとてもとてもいい感じ。歌詞の前向きっぷりもそれなりに好きです。
 「荒野流転」はなるけみちこのギターかと思うぐらい、ワイルドアームズの音楽みたいなものを感じました。混沌とした歌詞を暗闇で象る手法が好き、それからサビ前のこの盛り上がりっぷりはたまらない。流転、何ですよね、ホントはこの曲。カオスなエッセンスなんですけど、ちゃんと安定させられてる手法もたまらない。歌詞で一番好きなのはこれがひとつ。二番が終わった後のちょっとしたギターがホント楽しい。そこから来る弦楽器がもうたまらない。後コーラスすげえコーラス。この力強さが本当にいい。
 「暁の車」は「ヘッドフォンは静寂の向こう」で完成しきれなかったものを納め切ったなあ、という感じです。コーラスも相変わらず凄いけど、実はこれって「のろのろスピードなんだけど疾走中」みたいな曲だと思うんですよね。底の方では、すごく重々しいサウンドだったりするんだけど、それでも上の方はもがくようにして走り続けてる感じ。たぶんギターがおちゃめなせい。でもこの質量×速度は大好きです。
「angel gate」ももっとピアノにでしゃばってほしいかな。Aメロは落着き過ぎててちょっと退屈。でもサビの重厚さは本当に素晴らしい。ただどうも、もっとピアノに目立って欲しかった。音の流れが単調に聞こえるからかなあ。それでも大好きです、この曲。

 読書の話。
 小説は幸田文「黒き裾」・よしもとばなな「うたかた/サンクチュアリ」読了、レビューは例によって某所に。ケイ・ヘザリ「Kitchen table talk」と岸田秀「ものぐさ精神分析」を気まぐれに読んでみた。岸田秀かわいいよ岸田秀。

 ということでここからがメインです、嫌がらせの塊です。こんなプレゼントをして下さった某信楽時計さんには焼き肉ソーダをプレゼントしてあげるべきですね、きっと。(余談ですが、トウコウスフィアに投稿してある写真を見るだけで焼き肉ソーダはこりごりだと思いました)

+クサイよバトン+
※以下のセリフに、それとなく反応してみましょう。

01:「こっちへおいでよ、僕の子猫ちゃん♪」
「その台詞アウアウです(アダルトゲーム的な意味で)」

02:「俺のために、毎朝みそ汁を作ってくれ!!」
「みそ汁つくれない」

03:「君を直視できないよ。なぜって?君がまぶしすぎるからさ...」
「せんせー、××君が黒板照って見えないらしいです」

04:「地球上の単位では、君の美しさを表現できないね。」
「貴様はこの世界中の単位を全て言えるのか」

05:「結婚しないか?返事はハイかYESで答えてくれ。」
「Highly do I refuse.」

06:「君、空飛べるんだってね。だってほら、君は僕の天使だもの。」
「1フライト720円な」

08:「どんな花も、君ほど美しくはなれないさ...」
「貴様は今まで見た花の数をry」

09:「この夜景と、君の瞳に乾杯。」
「この歳で飲酒はマズイです」

10:「おや、火傷したみたいだ。どこがって?もちろん心がさ...」
「割と洒落にならないことになる前に、精神科に行くべきです」

11:「たとえ世界が滅びようとも、僕らの愛は滅びない!」
「世界を敵に回す恋は許容範囲じゃないよ(←プレイ動画だけ見た、Macだけど)」

12:「泣くのなら、僕の腕の中にしなよ。」
「布団が先客だからだめ」

13:「あの夕日に向かって、競争しようぜ!」
「宇宙服買ってこい」

14:「命にかえても、あなたを守ってみせる!」
「ならIpod買ってください(←壊れた)」

15:以上です。次に回す方をどうぞ。
あえて、きーたん。ごめんね、スケープゴートに選んで←

『記憶の限界に挑戦!バトン』
>1、思い出せ!今までに使ったPN全部
えっとね、まず中一で使ったのがRaiseでしょ。それから中二になってからRaiseを使い出したのかな。それからはずっとRaiseだけど、匿名代わりにRaiseとか使ってたなあ。そうそう、中二で二次やってたときは確かRaiseって名前使ってた。こう考えてみると色んなHN使ってるんだ^^
(※心のきれいな人のみがこのバトンの解答を正しく見ることができます)

>2、思い出せ!今までにイラスト、漫画、小説をかいたジャンル全部
■ユグドラ・ユニオン(ロザリィ×ロズウェルだけ。エレナ難しい……)
■FFTA(CP無し、普通にファンタジーしてた)
■カービィ(その……ももいろで、ふわふわなんです、はい……)
■ポケモン(すごく痛いオリジナルストーリーを展開してたよ、しかもそれが今まで続く源流地なんだよう)

>3、思い出せ!今までに同人誌を買ったジャンル全部
Macですけど。






ごまかしきれない。買ったことないですよ。

>4、思い出の多そうな5人くらいに回そう
みつみ信楽時計あれるや氷雨河さんにお願いしようかな^^
あ、みんなIPは一緒なんだね^^ どうしてなのかな^^^^^^
(なぜこれが報復なのか、いやそんなことが有りえようか)

◆腹黒バトン◆
誰もが聞いて恐ろしくなるような
強制バトンです

◆ルール◆
『あ行』で腹黒いセリフを作ってください

あ あさっての方向に。の原作っておもしろいよ
い インディグネイションって必中なんだぜ、やってみろよ
う ウサテイはシューティングゲームのCMソングなんだぜ
え ef? ああ、熱血純情な青春アニメだよ。
お お前、アニメの声優さんがエロゲーに出てるわけないだろ!

 寧ろ凄く気持ち悪いセリフになってしまったではないか。何たる策略。

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【夜の燦】ユーディが倒せない

 例によってタイトルはユグドラです。
 トラウマです。BF03とBF16のユーディは普通倒せない。
 後ルビースタッフ、フランベルジェ、ミゼルの靴シリーズコンプリートも普通出来ない。少なくともスティール使えないうちは無理でしょう。

【小説】
(1)「夜の燦」(→こっち
 某サイトの短編コンテストに出した作品です。個人的には結構好きでした。何か結果はどういうものになるのかは大体見えていますが気にしない。
 こっそり自己解題。
 葉子も春枝も見事なまでに自尊心の塊です。春枝は家を出るための狂言だったとキリスト改宗のことを言いますが、実際に改宗をしている。葉子は春枝を憎んでいる(これはよくある話ですね)。葉子は結局工務店を引き継いだ(独身)。大体本文中だけからさらうとこんな感じだと思います。
 葉子は中々に嫌な子(というか、そうならざるを得ない)だと読み返して思いました。十三年経ったのに、まだそのときの嘘を非難している。しかもそれは、口実としての嘘でしかないのに。「あたしは、お父さんと血の繋がってるあんたが、ずっと憎かった」と思いながらも、それを春枝のように言うことは出来ない。
 だからといって、葉子だけが嫌な子って訳でもない。
 春枝も、充分に嫌な子だと思います。「許してくれるか、怒らんといてくれるか」と言う割には、春枝の告白はどこか押しつけがましいし、結局はキリストに改宗している。口実を作らなければ家を出ていくことも出来なかった。浅ましいと自分を思いつつも、血が違うことでより強く贔屓されてしまうと思っている。葉子とは正反対のようであって、どこか確実に似たところがあります。
 どうして最後に葉子が苦しむのか、ということです。
 工務店を引き継いだのは、葉子が純粋に父親を愛していたところにあったからです。だからこそ父親もそれを受入れるべきか苦しんだわけだし。次女が居ないし、自分は長女だからという思いもあったでしょう。その純粋な感情、春枝に対してのコンプレックス抜きに工務店を引き継いだつもりだった。それなのに、春枝の告白を聞いているうちに、「まるで自分が責められているような気さえしていた」。春枝の告白はかなり葉子を攻め立てるものでした。血の繋がっていないという葉子のコンプレックスを根本から叩いている(「血が違うということで、本物の娘以上の関係」)ところがあります。葉子は工務店を引き継いだ理由を答えられない。それは純粋な感情のつもりだったのに、その気持ちを「血が違うということで、本物の娘以上の関係」を意識したんじゃないか、と疑っている。純粋な「決意」が策略めいたのに思われてくる。そして自責に至る、ということです。
 葉子は春枝の攻撃的な告白に気がついていません。本編のバックグラウンドが読めないだろう点はそこにあると思います。三人称の旨みを生かせなかったなあ、というのがひとつ。それから、キリスト改宗の点を掘り込まなかったのがひとつ。テーマの「決意」を考えると春枝の告白は「決意」とはいえない点もひとつかな。大体気付けてるウィークポイントはそんなものです。某空さんがフルボッコしてくれるのを気長に待とうかなあと思ってます。怖いけど。
 ちなみに聞いてたのはシューマンでした。

(2)「青と青のララバイ」(→こっち
 色々楽しかった。何も言う必要はありません。テンションがあまりにHighだったので書いているうちは気付きませんでしたが、読み返すと酷い電波だなあと思えてきました。でもまあ、楽しければそれでいい。聞いてた曲は「さよならソリティア」と「BLUE」どっちも名曲だなあと思います。

【雑記】
 「パンプキン・シザーズ」を見終わりました。色々言いたいことはあるけど面白かったです。どうしてもまた連載中の作品であった以上、ああいう終わり方しか出来なかったんだろうなあ、とか。
 舞踏会のところでソリスとエリスの株がぐっと上がったのと、後株がずっと上がりっぱなしだったのがオレルドかなあ。オレルドはどこまでも良い人でした。
 全体的に設定が濃密で凄く面白かった。オーランド伍長のランタンみたいなチートがあるのは少年漫画として仕方ないとは言え、偏り無くキャラが生きていた、紛うこと無く「陸上三課」全体の物語でした。ステッキンはちょっと地味でしたが。まあ彼女は電波ED担当ということで放置しておきます。ごめんなさい。
 正直2クールで終わったのが辛かったです。こう思えたアニメは多分久々。後地味に各話のタイトルが好きでした。ちょっぴり洒落てるところがあった。「粗野にして美味」とか好きでした。
 ホント2クールで終わるのは勿体ない。
 次は「あさっての方向。」です。別にロリコンじゃないんだけど、からだちゃんは健気でかわいい。結構薄暗い話なんだけど、どこかにほんのちょっぴりの希望がある気がする。1クールで短くまとめられるそうなので期待もしています。
 音楽の方は「あさっての方向。」EDの「スイートホームソング」が聞きやすかったのと、Suaraの「光の季節」を例によって聞いてます。後今更クロノクルセイドEDの「さよならソリティア」はSee-Sawの梶浦さんの編曲だということを知りました。同CDの「here we stand in  the afternoon dew」という曲も好きです。

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【それでも夜明けが来るのなら】「新年は二次創作から始めるっていうのはどうかな?」「…………」「なかなか良い始め方はねーな……」

 最早何も言うまい。時間も無いし。明日から学校だなんて。
 タイトルは例によってユグドラの名台詞より。

(1)「それでも夜明けが来るのなら」(→こっち
 ユグドラ・ユニオンの二次創作です。ロザリィ×ロズウェル。実際にはこの二人これぐらい優しいと思うのですけどねえ。それにしても、やっぱりこの二人が同時に仲間にならないシナリオは好きです。中途半端に和解して両方仲間、とかだったらこういう小説も書かなかったことでしょうし。それにしてもユグドラはアイテムコンプが難し過ぎる。今年一年を象徴するような作品になること間違いありません
(2)「ビスチェを紡ぐ」(→こっち
 オリジナル。ビスチェは、ユグドラに登場した魅惑のビスチェ、から。
(3)「月を食む犬」(→こっち
 オリジナル。心疲れてた。HNがRaiseでないのは釣り用だからです。ということで、厨ネームなのは僕には責任はありません。ありそうだけど本当にありません。

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【光遊ぶ・アトラクシア】年明け前に瑠璃色な

正月前ですから鬱なんです。だから正月前のブログのタイトルとかもう責任取りません。僕が悪いんじゃなくて、悪いのは寧ろ正月という行事を作った日本の昔の人達にあるわけで、でもいつから正月がこんなに嫌になったのか自分でも解りません。更にはみなみけの一期が終わったりして追い討ち状態。ちなみに夜明けなは見てません。今見てるのはパンプキンシザーズ。何がショッキングって桂ヒナギク(ハヤテのごとく)とかツメ(Wolf's Rain)とかカラス(バテンカイトス)とかよりもハロルドさん(TOD2)が出てることでした。声優って凄い。
 例によって小説紹介。でも何か忙しくて殆ど書いてない。そのせいでクリスマスの定番である自虐も出来ませんでした。(´・ω・)クリスマス? アニメですよ。

《小説》
「光遊ぶ・アトラクシア」(→こっち
 例の30分即興作品。悔しいかなBUMP OF CHICKEN聞いてましたとも。「supernova」という曲が無闇に良かったのでそれをループ再生しつつ書いてました。BUMP OF CHICKENはこれと「睡眠時間」だけが好きかな。
 中身は結構気に入ってます。一応小奇麗にまとめてみた。今はちょっと中編の方を手がけていて、中々短編の方に気が回りません。いつか完成したらそっちの中編もこっちに乗せておきたいなあ、とは思っていますが。中身は鬼束ちひろの「Las vegas」に多少影響受けてます。旅人については掘り下げませんでしたが、これぐらいで丁度よかったかなあと思っています。

《音楽》
 ・鬼束ちひろ「Las Vegas」ようやく入手。同時にeveryhome以前の鬼束ちひろはIpodから消しました。昔の着飾った音楽より、今の丸裸っぽい音楽の方が好き。アルバムの中では「BRIGHTEN US」と「蝋の翼」が断トツのお気に入りです。それから最近は「NOW」の力強さに惹かれます。「Rainman」「MAGICAL WORLD」のアレンジはちょっと飾り過ぎかな。「bad trip」は純粋過ぎてかえって聴き辛い、あまりにも停滞し過ぎてる感じ。「Sweet Rosemary」は旅人のイメージ。「Everyhome」が夜の旅人ならば、「Sweet Rosemary」は昼の旅人。
 旅というのは、とても悲しいことでもあると思いますし、また人は産まれながらに時間の上で旅をしていかなければならない生物だと思います。だからといって、悲しんでいるばかりじゃどうにも出来ない。人生は長いのだから、旅はそれだけ長く続く。どうしてか、人は足取りを止める事も、そう簡単には出来ないのです。
 ・愛内里菜「眠れぬ夜に / PARTY TIME PARTY UP」「Mint」聴きました。「Mint」はちょっと酷い。「Yellow carpet」は今までの曲を焼き直した印象、特に「Set your free」と「Believe your bravery」とかの音を感じた。地味にまとまっていることは確かなんだけど。「眠れぬ夜に」はギターの使い方が少し気が利いていない気もするし、Aメロ・Bメロはエネルギー不足というか、アンニュイさが無い。それでもサビとCメロの声の伸びは半端ない。ここだけで充分に評価出来る。「PARTY TIME PARTY UP」は純粋に楽しい。「眠れぬ夜に」とセットで送ってくるのが心憎い。
 ・石川智晶「1/2」も聴いた。「1/2」はイントロのコーラスは無い方が良いかもしれない。ただ歌声は虚無感というか、無常観というか、とても美しいけれど、少し悲しい、そういうものを感じる。歌そのものは全体として石川さんのメロウな声を充分に生かし切れている印象。「砂の上のドルフィン」は曲はともかくとして、歌詞が凄い。曲も充分に良いんだけど、本当にこの歌詞は美しい。安らかで、弱々しいのだけれど、優しい闇の中での、輝かしい目覚め、みたいな。「水槽の中のテトラ」が昼ならば、「砂の上のドルフィン」は夜。
・色々とクラシック買い漁った。有名なのばっか聞きました。良かったもの一つはサン=サーンスの「動物の謝肉祭」で、道化めいた音の移り変わりが大好きです。その癖、ちょっと気取ったような神秘性が好き。「ぞう」「水族館」「森の奥のかっこう」「白鳥」の四曲がお気に入り。それからシュトラウスの馬鹿っぽさが好きです。

【小説】
 ・吉本ばなな「キッチン」「白河夜船」
 「キッチン」はどこぞで書いたので省略。
 「白河夜船」はアンニュイな眠りの感覚を美しく描いてる三作。全て「目覚め」までの道程を細く美しく描いているのだけれど、ただ死者(永遠に失われたもの)が居なければこの世界観は成立出来ないように思う。それが少し残念。個人的には「白河夜船」のメロウ・チューンのやわらかでスローテンポな愛より、「夜と夜の旅人」の時間の無情さと、しっとりした寂しさ、の方が好き。
 ・北杜夫「酔いどれ船」
 最後の「或る一人の女の物語」で「獣性」を拾ってくるのはどうかなあ、という印象。そこまでの物語が丹念に仕上げられている分、何もこんな風にしてまで野蛮で力強いリリシズムの舞台を作り上げなくてもなあ、という印象。ただ、ミスマッチであるのは確かなのだけれど、プロローグとエピローグの醜いまでに情熱的なリリシズムは本当に美しい。その途中に挟まれる物語としては、「或る一人の伯母の物語」がとても面白かった。煩雑だけど猥雑なエネルギーに満ち溢れた街。その描写がとても心地よかった。
 ・ツルゲーネフ「ルーヂン」
 ルーヂンはただ滑稽な空想家でしか無い、というのが最初の感想だったが、最終的に戦争に出ていったところには何とも悲しい情熱を感じたし、ツルゲーネフ本人のフォローもあってか、次第に意見が変わった(嫌悪感を感じるのは変わりないが)。ナターシャのところのルーヂンはあんまりにもヘタレである。しかし、思うのは、果たして彼が滑稽であることを笑える人間の何人が、このような滑稽な情熱に身を浸せるのだろうか。

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【月ひとつ、庭ひとつ】何が衝撃だったって、マイユアで「これだからゆとり世代は……」という発言が小学生の口から出たこと

 突然ですが、このブログ、更新停止したいと思います。
 前々から親交のあった方々にもお知らせ出来ず、申し訳なく思っています。また、私自身、こういった突然な形でしかお知らせ出来なかった、というのを、心悔しく思っています。
 原因としてあえて言わせてもらうなら、自己嫌悪でしょうか。
 最近書いた小説をざっと見て、自分というものが固定化されてしまった生物だとようやく気付けた。どうしてだろう、と考える。小説を書くんじゃなくて、目的を果たすだけの、ひとになっていた。だから、いつのまにか、色合が失われた。それだけじゃない。自分は、眼が悪いのです。格言調の比喩というか、そういう定型文というのはえてして退屈なものなのですけれど、自分は本当に眼が悪い。或いは、初めから無かったのかもしれない。
 だからといって、小説を捨てようというわけではないのです。
 盲人には盲人の世界がある。それは暗闇に満ちているかもしれないけれど、球形をしている。音がある。そこには世界の全てがある。満たされている。
 眼の無い者の書ける者を追い求めたいと思うのです。それはもしかすると批評然としたものになってしまうかもしれない。でも、だからといって、見えぬままの模索というのには疲れた。しばらく、休むときかもしれない。
 だからこそ、閉鎖しようと決意しました。申し訳御座いません。
 しかし、時に眼が無くて見えるものというのも、あるのではないでしょうか。
 追い求める為の休息、です。
 2007 11/23 Raise







 ※投稿時間との時間軸のずれを考えてはいけない

やあ (´・ω・`)
ようこそ、バーボンハウス(仮)へ。
この文章は勿論釣りだから、まず飲んで落ち着いて欲しい。
うん、「また」なんだ。済まない。
仏の顔もって言うしね、謝って許してもらおうとも思っていない。ブログっていうのはラテン語のblongue(一ヶ月間の帳簿の意)から由来しているから一ヶ月放置したのも仕方ないっていう嘘ネタ含めた言い訳をする気もない。予定はあった。
でも、このキーワードを見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない「ときめき」みたいなものを感じてくれたと思う。レイジケージが上がったなら幸せのベルを使うべきだし、初心者が迂闊にバーストボトルを使うのはお勧め出来ない。
殺伐とした世の中で、そういう気持ちを忘れないで欲しい。ルゥリの弓必殺技(スターダストは反則過ぎる)、神代兵器ファンネリア、トゥアハー・デ・ダナンのスパロボJにおける射程範囲、ラムダ・ドライバ、アンノマグナ様、ニートのディバインセイバー、天才のクレイジーコメット。そういったものは全部この世の中から消すべきだ。きっと。でもソウルクレイドルは秘密特訓とひきこもる勇気無しじゃ隠しボスまで倒せないので消さないでください。
そう思って、このキーワードを作ったんだ。
じゃあ、注文を聞こうか。例によって時間は無いから、小説紹介だけだ。世界はまわるというけれど、パソコン禁止になるだけです。ちくしょう。後多分何個か漏れてる作品だけどもう気にしない。する暇がない。仮面にライフボトルを使うのでもう精一杯なんだ。ちなみに現在見てるアニメはみなみけ、myself yourself、バンブーブレード。何という平均的水準。

(1)「手繰りよせる、アンチドーテ」(→こっち
(2)「月ひとつ、庭ひとつ」(→こっち
(3)「精霊の贈り物にはジュブナイルを詰め込んで」(→こっち
(4)「豚は生きる」(→こっち
(5)「フライドスター・ファンタジア」(→こっち
(6)「舟の曳く」(→こっち
(7)「世界樹の柩」(→こっち
(8)「風・過ぎ去る」(→こっち
(9)「手を紡ぎ合っても、冠は転げ落ちて」(→こっち
(10)「Twilightベクトル→」(→こっち

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