【カテドラリア】ここ最近はまっているゲームが日本一とstingとGUSTに限定されている
いや……うん……タイトルは気にしちゃ駄目なんじゃないかな……。
ネット(執筆)に費やす能力を現実に持ってきたら良くねって友達にマジレスされて死にそうなRaiseです。こんばんは。現実での能力をネットに持ってきてるだけでそんなにのめり込んでいるわけではありません。でもイベントとか立て込み過ぎててちょっと死にそう。ハードワークばんざーい。
高校生になってからオーラルコミュニケーションの時間が加わったわけで、エッセイとかゆるゆる書いてました。今読み返したら何かにーちぇとかいう単語があったけど気にしない。学校の宗教行事の話がいつのまにか宗教全体に拡大した話になってたり好きなテレビ番組の話がどうして日本人の批判になったんだか、自分でもよく解りません。トランストラップに引っ掛かってます、もう。無意味なことに情熱を燃やすのが大好きです。ていうか意味のないものなんてないんだったら、無意味じゃないものなんてそれこそない。とまあ、中二ロジックで無様に開き直ります。
それと情報の時間でプレゼンテーションやったんですよ、プレゼン。しかも馬鹿げたことに自分から立候補したんですね、だってせっかく作ったのそのまま放置しておくなんて勿体ないじゃないですか。でも思えばこういうのって毎回周囲とテンションというか周波数がずれてるというか、空回りしてるんですね。今回も例に漏れません、ええ。スピーチも考えずに、しかもプレゼンのスライド一枚目に貼ったのが「Serial Experiments Lain」のDVDケースでちょっと意地悪すれば美少女アニメに見えてしまうような有り様で、二枚目になれば「アダルトゲーム」という単語が飛び出して……みたいな。テーマはサブカルについて割と真面目に話したんですけれどいかんせん私の話の運びが悪かったです。緊張し過ぎてもう何喋ったのかも覚えていません。そろそろクラスで4メートルぐらい浮いてきました。泣きそうです。
ヘッセの小説とかなら自分はたぶん自殺するタイプ。情熱的ではないが。大江健三郎の初期作品だったら青臭いこと吐いて周囲から冷たい目で見られた揚句とんでもない失敗をやらかしそう。そんなことする勇気もありそうには無いけれど。開高健のだったらまだ馬鹿にされるぐらいで済むか。いやそれでも銃殺ぐらいはされそうだ。幸田文だと結構真剣に軽蔑される。
自分で書いていてネタを挟む余地が無さ過ぎて泣きそうです。それはもう、子安ボイスの魔王がプチヤンデレちっくな密告者さんに「結婚して」とかいきなり押し掛けられたあげく「結婚してくれなかったらあんたの家ぶっ壊してくもん」とか脅される某赤王国で、フリーダンジョン28階ぐらいで超ワイドファイアとかをたたき込まれて全滅、みたいなぐらいに悲惨です。ソウルクレイドルの部屋鍛えで六十階層ぐらいまで進んだ揚句フリーズしたときとかふて寝しました。後某赤王国っていうか要はファントム・キングダムで凡用キャラクターに付けた名前が気がつけばカリオペとかハルモニアとかで「ああ、自分ののーみそってまだまだ春真っ最中なのねー」とようやく再確認しました。遅かった。あまりに。
ソフマップの中古ゲームでドラゴンシャドウスペルを買うべきかディスガイアを買うべきか悩んだ揚句に前述のファントム・キングダムを買ってしまうような第三選択肢(くめたこうじ信仰ですが何か)っぷりを近年発揮しまくっている自分に乾杯しながらさあ小説紹介から今日もてけとーなことを。
(1)「カテドラリア」(→こっち)
RPG的小説観とでもいうのかなあ。最近私はそういう話しか書いていない。形式張ったやり口でこざかしい、つまらないものを神様の落とし物みたいに律義に拾いこむ、そんな主人公しか書いていない気がする。「カテドラリア」はそういう限界性を突破し切れてないんじゃないかな、とかね。書き手がインドアだからかは解らないけれど、相変わらず行動範囲は狭い。聖なる丘と銘打ったただの平地から、主人公は可能性を摘み取っていく。今サルトルをちょこちょこと読んでいて、それであの可能性切り取り型というか、そういう舞台が思いついたのだけれど。多重構造というか、私達が生きている世界とかいうのは、ああいう具合にチープでもいいと思うのだけれど、いかんせん私の未練というか、そういうものが残っていてしまっていて、バイキングでありったけ取ってしまった皿みたいな様相にはなっている。個人的には好きな部類なんだけれども。絶食芸人云々の項はカフカの「絶食芸人」を思い出しながら書いた。カフカは「家長の心配」が好きだ。物語は私にとっては指向性というか、現実に着地させてしまうようなもので、何だか怖いものがある。それでも踏み出さなければいけないのだろうけれど。
(2)「わたしがトト・トイレで旅をする」(→こっち)
私にとって小説を書くことはそんなに偉いことでもなくて、そういう意志を表明したくて「わたしがトト・トイレで旅をする」を書いた。これもRPG的というか、まあしっちゃかめっちゃかに舞台を投げまくって進めていった。序盤が陳腐で痛々しいのは仕様で、とにかく「薄っぺらい感じ」を出したかった。しかしそれが後半で本当にモノホンになれてる、というと疑問かなあ。最近の自分のもやもやをそのまま練り込んで、自己嫌悪に陥って、とりあえず自分を安っぽいやり口で叩いたりして、けれどまあ、何というか、あまり悩まなくなった。いい加減扉を開いてどこかに行かなければならない。そしてまあ、また私はドア越しでこういう具合に躊躇ってしまっているのだけれど。でも、これは私にとってはひとつの分岐点、のような小説だと思う。小説を書く、ってのはご飯をたべるとか、トイレをするとか、そういうことと変わらない気がする。わざわざそういうことを表明するあたりに自らの浅さを感じはするけれど、これは確かに分岐点なのです。
(3)「そして天上電車に見捨てられ」(→こっち)
ぶっ飛んだのが「そして天上電車に見捨てられ」かな。とりあえず、パロディというか、神聖なような何かを思いっきりけなしたくなったので、死をけなしてみた。ライトノベル的というか、記号的な外套をキャラクターにかぶせて、それを全部一色のなにかに変形させてみる。主人公はせっかく生き残ったもののその一色に覆いかぶされている。主人公をそこで負かすわけには行かなかったので、とりあえず開き直らせた。子供を育てるって大変、だからのオイディプスでもあるし、いずれ乗り越えられるべき父性という存在に収まってしまったからこそのオイディプスでもあるし、何より自分の子ではない、何者かの子、血族ではない誰か、そういった他人をも子供と育てられてしまえそうな今日この頃へのパロディ、ということで。これも気に入ってる。こういう文体はすぐに飽きられてしまいそうだろうけれど。主人公が饒舌過ぎて、いろんな人の甘言にほだされて、そんでもって妻のことは投げ出して、子供は他人でもよくて、だが主人公はそれでも生きていく、迎え撃っていく。そういう無責任で汚らしくて怠惰で駄目な野郎も書きたかったのです。それと書き終えて一週間ぐらいしてから気付いたけれど、これは久米田先生の影響、たぶん。かってに改蔵から好きです。
(4)「片割れ船わるつ」(→こっち)
夢の話を書きたかった、ということ。日記、とか、あるいは小説、おそらくは後者の方がより結びつけやすいだろうけれど、今、そういうものは誰かに向かって開かれるわけであって(それはもう、小説ストーリーテラーというサイトや、無数のブログが示してくれる通り)、でも読み手は要らない。誰でも無い誰かに支配されていたい、みたいな、何だろう、そういうものを感じる。でもだからといって、あの海は未だ浅い電脳の海、とかいうつもりは無い。ウェブはあんなにも献身的で、長ったらしく、口うるさい収集人を持ち合わせてはいない。だからあれは夢。でも私は小説や日記のようなものをああいう具合にすくってくれる存在が居てくれてもいい気がする。あくまで想像でしかないから、あんな具合に孤島しか舞台に選べなかったのだけれど、言い表し難いけれど、私達は反射している。日記は事実に、小説は虚構に、反射している。いつのまにか書き手の手を飛び離れて、魚のようにして、ぐるぐると見知らぬ海を泳いでいても、そんなに不思議ではない。片割れ舟わるつ、と置いたのは、いつのまにか私達の手を離れていってしまっていて、価値のような何かも失ってしまっているのに、何故か独立してくるくると泳ぎ回っているあたりから。
(5)「ざくろの門のカルフィエ」(→こっち)
「ざくろの門のカルフィエ」は音楽のような何かを書きたかった。音楽的、終わらない音楽的なものを書きたかった。カルフィエは神様、のような何かでも、運命のような何かでも、どうでもいい。そこにあるのはラッパとヘタクソな奏者だけなので、彼が誰なのかはどうでもいい。カルフィエのラッパのように、中身もテンポがめちゃくちゃで、全く馬鹿げた内容になっているけれども、好きだ。
(6)「リトル・グレイシャス・カモミール・ワルツ」(→こっち)
雑記的なもの。現実だってものすごく物語的というか、扇情的というか、そういうことを確認した。あるいは私がそう装飾しただけなのかもしれない。陳腐な装飾ではある。ナルシシズムに満ち溢れている。でもまったくもってそういう他愛の無い話を奇妙なぐらいに誇張して、とにかく、こんな下らない話を、最前線に置いてやりたかったのだ。雑記、雑記だからこそ、たぶん私は書かなきゃいけないのだと思う。
音楽に関しては霜月はるか聞き出して「あしあとリズム」「ユラグソラ」「箱庭ノート」「Orbital Number」「ティンダーリアの種」。個人的には「恋獄」「硝子の月」「蝶」あたりが好きかな。「あしあとリズム」「遠い伝承歌」、それから「セカイハカガヤク」とか。アルトネリコ系列で来ると「月奏」「Exec.Re-nation」「Exec.Viena」あたり。OSの都合で出来ませんけれども、Innocent Grayのゲームがやりたいです。年齢の都合でも出来ないし買う勇気も無いけどね。「音のコンパス」が大いに楽しみ。
JAM PROJECTを一ヶ月だけ聴いた。熱しやすく冷めやすいというか、恥ずかしくなってくるというか、余裕が無くなる音楽だというか、疲れる。「Rising Force」「紅の牙」「迷宮のプリズナー」あたりが好きだった。
霜月はるか繋がりでBarbarian on the grooveにも手を出す。志方さんから入ったけれども、同人音楽は良い。とりあえず「Arco-Iris」と「Diorama-Shade」から。前者だと「エテルノ・ソルダン」「グレイ・ヘヴンズ」がぶっちぎりの良さ。インストの「Cloudiness」のミステリアスさも好きかな。後者だと「楽園」が一番。あのアンニュイな滑走感はたまらない。
eufoniusは「メトロクローム」ゲット。予想通り「Sign」「シラタマ」がかなり良さげ。前者は「ナルキッソス」の模倣になりかけるかと思ったけれども、有機的なサウンドでがりがり、執拗に引っかいていくのは新しい、心地よい。「Indelible Name」にもその気は見られるけれどこれは劇音楽だからか退屈な意味で落ち着きが無い。その点「Sign」はよく出来ている。「シラタマ」はeufoniusにしか出来ない童謡のような楽曲。「Angel On tree」の系列だけれどもサウンド構成がかなり新しくて耳に心地よい。素晴らしい。「ラクガキ」のリミックスはやや盛り込み過ぎ。ストイックさ、のようなものが好きだったから、ちょっと。「ちいさなうた」は変化箇所が解らないけれどやっぱり良い。「夕空ワルツ」は「ぐるぐる」の系列を思わせるゆったりさ、心地よい。「Flare」「Plage」はコーラスだけで責めるそれこそしもつきんや志方さんのような楽曲だけれどこの声でやられると意外と気持ち良くてびっくりだった。「メトロクローム」はサビに「ラクガキ」に似たストイックな格好良さを感じる。「Angel on tree」と同様の落とし込み方には少々落胆させられたけれども。全体的に良曲揃い。
ASIAN KUNG-FU GENERATION「未だ見ぬ明日に」を。「ワールドワールドワールド」以前の楽曲に回帰したというか、音の厚いアジカンに戻った。「脈打つ生命」は完全に回帰。「サイエンスフィクション」は「ワールドワールドワールド」のボップさに音の厚さをきっちり付加してる感じ、好感。「ムスタング」は「君の街まで」の甘さを渇かせて引き締める。「深呼吸」は流石のトーン暗めの曲。「サイレン」や「バタフライ」のような楽曲が好きだった自分にはちょっと物足りないけど心地よい諦観のようなものを感じる。「融雪」は音の引っかき具合が心地よい、「桜草」を豪華にしたようで、単調なのに飽きないし、縦横無尽に行進してくれる、好き。「未だ見ぬ明日に」はイントロが素晴らしいけれども、模倣の感あり。嫌いではないけれども。
読書に関してはカフカの作品集ゲット。「絶食芸人」「家長の心配」あたり掌編小説を読んだけれどとても素晴らしかった。次は「流刑地」かな。これも面白い。川端康成「骨拾い」でようやく川端に対する反感が治まった。凄くいい、これ。「処女作の祟り」とかが面白かった。題名は忘れたけれども時雨の駅の人妻云々の話が手短にまとまっている。図書館の「実存と虚無」なんていう本にようやく手を出した。サルトルとハイデガーの抜粋を読んでいる最中、キルケゴールとかニーチェみたいに楽じゃない、でもとても興奮するというか、自分の無知を再確認させてくれるというか、ともかく、面白いのだ。特にサルトルに関しては外のも読みたい。「否定の起源」が物凄く面白かった。これに載ってるカフカの「日記抄」とカミュの不条理云々の奴も早く読みたい。カフカとカミュは未だに好きだ。
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