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<title>物書き風味ぬんたら卵</title>
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<description>ぬんたらぬんたら生きている物書き風味。
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<title>8/18　めでたく十七歳になりました！</title>
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<description>　セヴンティーンになった。セブンティーンではないのは、ひとまず大江以外思い付くこ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　セヴンティーンになった。セブンティーンではないのは、ひとまず大江以外思い付くことがなかったから。とりあえず社会党の委員長を刺殺せにゃならんのかと思ったら、今って社会党ないんだよね。今だったら何にあたるんだろう。&lt;br /&gt;　そんな電波系気取り。前回は文学少年気取りでした。ホントです。決してマジで書いてたりしないから。ホントホント。&lt;br /&gt;　それにしてもペール・ギュントがどこにもない。アルルの女はさらっと見つかった。ていうか短いなあ。古本屋の立ち読みで終わった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　書き物。全然書いてない。ストテラで書こうと思ったら色々時宜を外すので、最近はもっぱらテキスポです。残念。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;■「指のためのエッセイ」（→こっち）&lt;br /&gt;　無視。他人の手症候群というのを最近知ったが、これとは一切関係ない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;■「セヴンティーン 2009 0817」（→こっち）&lt;br /&gt;　一応、17になったので。残念なことにすごくロマンです。深夜制作なので誤字とか散見されまくりですが、もう直す気にもならない。ちょっとひどい。ちなみに冒頭の「ディセンバー・エアーズ」は十枚ぐらいの短編です。田嶋勉「エアーズ」から。十二月の旋律といえばクリスマス・カロルがくるわけで、それが最後に流れてくるというだけの話でした。機会があったらどこかに以前に機会がない。まあ、ここで再利用できたからいいとしよう、ということで。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　小説を久々に書くと自分のヘタクソさに愕然としました、ホント。すごく痛い話なのですが、もうちょっと書けた気がするなあ、とかのたまいかねないです。もっとも、別段スランプなんて言葉を使える状況ではないです（そんな困難にチャレンジしてるわけではない）。でも色々出さなきゃいけないので、それまでにはもうちょっとまともな文章書けるようになっとかなきゃやばいなあ。&lt;br /&gt;　「セヴンティーン 2009 0817」を読むのにセヴンティーンを読み返していったんですけど、あれなかなかすごいなあ。大江ってしょうもない！　って読む前は毎回思うんですけど、いざ読むとなると妙に面白く見えるからやだー。つい最近まで本当読んでなかったのに、また読もうかなーとか思ったり。しかし過去の黒い歴史群は全部大江のせいだから、適度に触れる程度で。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　読書といえばスタンダール「赤と黒」が終わって、モーム「人間の絆」です。世界名作読んでみようシリーズ第二段。おかげで今どきの文章全然読んでないよう。かろうじて終の住処は読んでた。磯崎健一郎さん超おめでとう！　最近の芥川賞は地味にいい人にスポットライト当ててる。白い紙が芥川賞取るんじゃないかとものすごく心配だったんですが、良かった。白い紙もそんなに注目に値すんのかなーと思うんですけどね。今の文学って何が欲しいんだろう。それこそモームとかみたいのが欲しいんだろか。それとも新しい奴が欲しいの。そこらへんの分裂が割とどこでも見れて（群像とかは別かなあ）つらいところです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　映画。初めて話すや。「アマルフィ 女神の報酬」を東京旅行（五日間で三回も地震にあった、おかしい）で見ました。&lt;br /&gt;　お笑い映画だった。マジで。&lt;br /&gt;　天海祐希が線の細いお母さんを演じるわけだが、これがまず根本的に似合わない。似合わないんだけど熱演なのだ。軽く鬱っぽくなって、部屋を探り回る（誘拐された娘を探して、娘の荷物のあたりとか探りまくり）あたりとかは本当怖かった。なんでそこで熱演するのー。警備会社で銃持って脅し回るときも本当怖い。&lt;br /&gt;　そういう天海祐希の職人的な怖さに比して、織田裕二が。やばいのだ。まあ、熱い。面倒な熱さである。発信機を佐藤浩市に付けるシーンが妙に不器用、そりゃばれるだろう。でもまあ、織田裕二がまずいのは想定内ですよね。&lt;br /&gt;　何がやばいってシナリオと構成がやばい。&lt;br /&gt;　映画始まる前からサラ・ブライトマンの「time to say good-by」がずっと流れてるわけです。五回ぐらいまずここで聞かされる。中盤で聞かされる。最後にももう一回聞かされる。もはや映画というよりPVです。聞いた人誰もが一生ききたくねえって思う程何度も聞かされる。&lt;br /&gt;　オープニングでとりあえずイタリアの風景を映したり、天海祐希と織田裕二がホテルに泊まったり色々するのですが、突然ぶつぎりで入ってくるタイトルコール。&lt;br /&gt;　しかも「一日前」とかくる。何だ、その構成の考えてない感じ。いや考えたんだろうけどそのお粗末な時系列の並べ方は何。もっと凝ればいいじゃん。&lt;br /&gt;　後、誘拐された後、佐藤浩市と天海祐希のお電話シーンが入って、佐藤のいい人振りがアピールされるのですが、ここでもう犯人確定じゃないですか（ここでもう犯人解って興ざめになる人は少なくないはず）……。外国舞台の邦画で外国人が犯人なわけがない。しかもお粗末なシナリオなんだから、いい人が犯人に決まってる。残念すぎる。戸田恵梨香が犯人だったらきっと五倍は面白かったはず。サプライズとか何にもない。「こいつ怪しいなあ」が最後まで通じる。&lt;br /&gt;　音楽は普通。それ以上では決してない。いや別に、ミヨーとか、オネゲルみたいなのを期待してたわけじゃあないので不満なんて全然ない。ミステリとしてはそれなり（科捜研の女ぐらい）。ただtime to say good-byは本当勘弁して……。&lt;br /&gt;　後アマルフィは一体何だったのホント。何の意味もなさない。景色映しただけ。&lt;br /&gt;　台詞回しもやばい。「君にこれから、ある凡人の話をしよう」みたいな台詞が佐藤の口から出てくる。なんつー台詞だ。もっとかっこいいのないの。ていうか佐藤の役本当痛い人もいいとこですねかわいそう。&lt;br /&gt;　あ、ちなみに犯人の動機も最初からちゃんと伏線が張ってあります。ホテルのテレビで織田が点けたのはどこぞの内戦事情。どう見てもそれが動機だろ。日本外相がやってくるんだって。どう見てもそれが真の目的だろ……イタリア大統領に拳銃つきつけるような展開が邦画であったら色々まずいじゃん……。それだけ見るともう何の面白みもありません。&lt;br /&gt;　まあ言わずもがなイタリア警察の無能さがヤバイ。「スピード」のジャックの上司より無能な奴等とかありえねえと思ったらここにいた。&lt;br /&gt;　佐藤浩市。かっこいいのだ。だが何分語学力がやばく、「あいうぉんとゆーとぅー！」みたいなノリなのだ。とにかく佐藤には一切イタリア語を喋らせていないあたりでもそれは解る（しまいには、イタリア人女性に話しかけるのも日本語。でも佐藤は通じる。だってかっこいいから）。織田裕二もなかなかいらっと来るが、佐藤はいらっと通り越して「かっこいいからまあいいや」って無理に思わせられてくる。まあ、佐藤だからいいよ。&lt;br /&gt;　戸田恵梨香は後付け。居ててだから何みたいな。&lt;br /&gt;　犯人の動機ですか？　日本の外相のせいで、ボランティア団体が攻撃されちゃまいした、でも外相はもみ消し。こんなことがあっていいのかーと佐藤蜂起ってお前それ相棒じゃん……めちゃめちゃ相棒じゃん……。&lt;br /&gt;　正直相棒のパロディなのかなーと思う箇所が一杯ありました。天海祐希の娘が誘拐されたのは実は陽動だったんだぜ！　停電起こさせて、その間にセキュリティシステムをハッキングさせちゃうんだぜ！　ってそれ絶対相棒にあったってそんな話（東京が舞台の話で確かあった。船上でフィラデルフィア演奏する話）。相棒のパロディとして見たらたぶん楽しめるよ！　おすすすめ！&lt;br /&gt;　そして日本駄目ドラマのセオリーとして、天海祐希は佐藤を許すわけですが……ねえ何でみんな「生きて償ってほしい」なの……。他になんかないんですかホント。&lt;br /&gt;　要するに、相棒の二時間スペシャル（つまり相棒がいちばんつまらん回）にサラ・ブライトマンのPVをくっつけただけの映画でした。&lt;br /&gt;　エンディングのイタリア人の新年とか、もう笑えない。お馴染time to say good-byをバックに、ひたすらイタリア人がキスするのをお寒い気持ちで見せられるのでした。人足の少ない映画館なのに、携帯の光が一杯に見えたのはいい思い出です。&lt;br /&gt;　結論。ボルトかモンスターVSエイリアン見た方がよっぽど楽しい。HACHIでもまだその方がマシ。そういやHACHI、母親と妹が言うには面白かったらしい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ドラマは「Boss」がぬるくいい感じに終わって（すっごくさわやかなバカがクールな刑事だったり、パラリーガルが警察のトップだったり）、今はコールセンターの恋人見てます。法律事務所の受付嬢がいつのまにかお客様相談センターにいたり、京都地検の判事が通販ショッピングの司会だったり、見てて飽きません。特筆すべきは小泉孝太郎。お父さん誰？　なぐらいいい人。本当に全身からいい人オーラが漂ってくる。いい人なだけに左遷されるわ恋人とられるわ子供にも呼び捨てにされるわが自然と「ああありそう」って当てはまってくる。いいキャスティングだと思いました。演技も全然気になんないよう。コネで俳優になったタイプなのかなあと思ったら全然そんなことないじゃん。普通に良かったです。ドラマ本編もシナリオの締め方がやや美談に走り過ぎてるかなーって感じもしますが、鼻につきはしない。微妙にメタな視点で展開される物語だし、なかなか手堅い構成です。面白いので是非。大口幸子さんの脚本は第六回はピンと来ませんが（外国人と間接的な化プローチしかとってないわけで、なんか傍観者の感覚でした。最後にみんなでDVDを踊るってのもいくらなんでもシンボリックすぎて鼻につく）、第三回のはなかなかいい（というか初めて見たのがこれでした）。中園ミホさんのは今のところちょっとどうとも言い様がない。第四回も第五回もおもしろいながらふーん、で終わってしまったので。後は面白かったかな。&lt;br /&gt;　後妹がダンディ・ダディを好んで見てるのですが、誰か止めさせる方法を教えていただければ助かります。&lt;br /&gt;　こち亀のドラマ版を止められるなら尚更助かります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　音楽（※ここからものすごく長い＋後にバトンがあるので読み飛ばし推奨です。テンション上がってるうちにどんどん長くなってった。こんなつもりじゃなかったんだけどなあ）。&lt;br /&gt;　某8君にお借りした吹奏楽課題曲演奏集が大変いい感じです。以下気に入った奴。&lt;br /&gt;　「ターンブル・マーチ」は重厚マーチ。厚い厚い、超かっこいい。同じノリで「吹奏楽の為の序曲」もすごくいい。こういうオーケストレーションが厚いというか、ガツンガツン来る楽曲が基本的に好きです。「レイディアント・マーチ」なんかもう最高です。硬い硬い、重い重いがすがす来過ぎ。めっちゃくっちゃカッコイイです。トリオからなんて本当バカみたいに素敵ですすげえ。&lt;br /&gt;　「スター・パズル・マーチ」みたいなバカっぽさ全開のもすごくいい。しかもトリオから超きれいなあたりバカに徹してるわけじゃなく、ちゃんとしたマイスターなやつです。これもお気に入り。&lt;br /&gt;　『マーチ「潮煙」』渋いなあ。トランペットカッコイイ。日本語の音楽っていうならむしろ「道祖神の詩」みたいなユーモアがある方はすごく納得できる気がする、そんな私は古楽に素養がありません。ごめんなさい。「道祖神の詩」はどうなんだろうなあ。でも日本語の引用の上で成立っている、って感じはする。前の二つは日本語でしかない感じじゃないかなあ。適度な諧謔でようやく円滑に日本を導入できてるわけかな。「おどり唄」もいいんだけど、日本語でしかない感じ。いやそういう音楽が必要だったんだろうけど、これはちょっと辛い。一分十五秒あたりからすごく格好良くなってますが。&lt;br /&gt;　「パルス・モーションⅡ」これはいい！　現代音楽なんだけど、クールでメカニカルなだけで不協和音ががしゃーんみたいなのではないです。つるつるくるくる進んでめちゃくちゃ楽しい。同じ系列で『マーチ「列車で行こう」』もすごく聞きやすかったなあ。後の方がきらきら度は高い。前はトリップしまくり。バカ面白さがクールさに同居する感じ。身体のある音楽というか、なんだろうなあ。本当に回転する音楽、みたいな感じです。これが一番のお気に入りかなあ。&lt;br /&gt;　「饗応夫人」ダメダメでした。残念。すごく期待してたんだけどなあ。現代はヴァレーズとかならかろうじて聞けるけど、どっちかというメシアンみたいなダサかっこいい派手みたいな曲想の方が好きです。その点「パルセイション」「風の密度」はいいなあ。現代音楽は個人的にはそもそもはダサい音楽だろうと思うので、こういうダサかっこよさに徹している音楽は好き。饗応夫人は現代なのかなあ。もっとも現代はホントにメシアンとヴァレーズ、それとシェーンベルクとウェーベルンをちょっとぐらいしか、なので、そんなに語れはしませんが。それにしても「躍動する魂」「セリオーソ」のあのウザさはなんですか。課題曲で嫌になるのとか普通ないはずなんだけどなあ。特にセリオーソ。何だあれ。ダサかっこよさがなくて普通のだささしかないじゃん「リベラメンテ——吹奏楽による」今にもこけそうで怖い曲。でも適度な緊張感が意外と心地よかったりします。これってでも行進曲なんだ。聞いててバランスを失いそうになるんですけど、その危うさと緊張感が身体にとてもいいです、気持ちいい。一分三十秒の打楽器はむしろユーモラス。二分三十秒からの金管と、くどいテーマの再現もダサイけどかっこいい。全然リベラメンテじゃないが。&lt;br /&gt;　異国情緒っぽいのだと『行進曲「ラメセス二世」』も熱い！　『第一行進曲「ジャンダルム」』と並んで良作です。個人的には後のオリエンタルな怪しさというか、エキゾティシズム特有の安っぽさ（なんか「これだったらマーチでしょう」みたいなコンセプトが見え隠れしてきたりもするのだ）がちょっぴり弥漫してる方が好きだったりします。だから「架空の伝説のための前奏曲」より「吹奏楽のための一章」の方がけれん味があって好きです。異国的といえば「天馬の道——吹奏楽のために」も躍動感ある良品です。ホルンと打楽器が超かっこいい。テンポスローで一旦盛り上がった後にクラリネットでさらっと落とす、これもまあベタな格好良さ。この曲も本当好きです。&lt;br /&gt;　「アップル・マーチ」のスマートさもなかなか好き。というか題名が可愛いなあ。クイックマーチっていうのはあんまり好きじゃーないですが、「マーチ・エイプリル・メイ」「スプリング・マーチ」も同じように好きです。特に後はクラリネットと金管のかけ合いがかわいい。かわいいマーチはいいなあ。カッコイイマーチはよっぽど熱くないと受入れられないです。「五月の風」なんかも色んなところに気が利いてて、巧みな作品です。かわいいばかりじゃなくて、意外とポップな雰囲気だったりなあなどれなさがいいなあ。その割に「五月の風」なんて慎ましいタイトルもお気に入り。&lt;br /&gt;　「ウィナーズ——吹奏楽のための行進曲」諏訪雅彦という人間の印象からかなあ、すごくクラシカルな語法で書いてる気がしてたんですが、映画音楽っぽかった。吹奏楽特有のちょっとした気取りがものすごく効果的に発揮された曲だと思います。ゆったり行進曲。「栄光をたたえて」のコラールを行進曲全体に拡大していく感じなのかなあ。でも細い力強さではなく、ものすごく太い力強さが全体に漲ってる感じ。落ちないというか。ボーンがトランペットの冒頭のテーマをやるところでテンションがめちゃくちゃ上がってきます。そこから熱い熱い！　いよいよ行進です。行進って言葉の語勢にきっちり付き合いってるし、しかもメロディーもなかなか美麗です。最初ちょっと聞いただけでは別に何とも思わなかったんだけど、これがなかなかいい曲でした。&lt;br /&gt;　「イギリス民謡による行進曲」これもかっこいい。何で民謡でマーチやるときって何でこんな恰好良い素材ばっか転がってるんだか。こっちの方が真面目にクラシカルって感じはします。ウィナーズは気取り屋っぽいあたり、ちょっぴりポップスっぽいのかなあと思ったり（クラシックって微妙に気取らない、直球勝負のところないですか）。終わり方が妙にさみしいのはしかしどうしたことだ。うーん。&lt;br /&gt;　これだけは書いておきたい「エアーズ」！　序盤のグロッケンとフルートでもうやられる。「ピッコロマーチ」だけ聞いてたら普通のコンポーザーかなーと思ったのですが、これは本当にやばい一曲でした。まあ俗っぽいといえば俗っぽいんだろうけど、でもすごくいい曲です。所々に挟まれる木管の諧謔もお茶目だなあ。このお茶目さが「ピッコロマーチ」にも出てくることを見ると、ああやっぱり同じ作曲家だなーと思うのです。しかし本当にこれはいい曲。テンポ遅くなってからのサックスは本当絶対しんみり来させてるよねこれ、確信犯ですよね。しかしふわふわで書いているようでこれ案外オーケストレーション堅実なんじゃないかなあ。ホルンとか微妙にすてきなバイプレイヤーっぽいです（楽譜見てないから全然解んないけど）。同じ主題を楽器を変えて繰り返すだけの曲と言えばそうなのですが、しかしサックスとフルートの格好良さは尋常ではないです。四分四十五秒からのちょっとしたお茶目もやっぱり楽しい。五分五秒以降の行進曲っぽい構成もかなり恰好良いです。泣けるというより純粋に恰好良い曲だよねこれも。&lt;br /&gt;　「パクス・ロマーナ」外せません。松尾善雄さんは「ナジム・アラビー」でも「すげえ」ときたのですが、こっれも本当にやばいぞ、マジやばい。「クロマティック・プリズム」の堅実な不安定さ、「虹色の風」のユーモア、「童夢」のエスニックな「日本語」もまあ、嫌いじゃないんですが、これは本当にやばい。トランペットのファンファーレと打楽器でもう笑う。ティンパニ地味ながらいい役です。メロディはかなりシンプルなだけに、簡素でめちゃくちゃ力強い良曲です。一分三十五秒からの金管のかけ合いとドラ、温度は一見低そうでめちゃくちゃ熱い木管メロディ、裏のリズム、力強過ぎ、すごいぞホント。トランペットから受け継ぐ二分三十五秒からのトロンボーンもやべえ！　マジやべえ。何がやべえってここの裏の木管がくらっとくるぞホント。欲を言えばもうちょっと打楽器にちゃかちゃかやってもらいたかった！　でも最後のトランペットの最初のテーマの繰り返し、そして重々しく簡潔なエンドも見事の一言他ないです。これ本当に良曲。内藤淳一の千倍は好き、いやまじで。公募とはいえ、毎年でも見たい人です。本当に見事。にしても「ナジム・アラビー」もノリノリですねこれ。全編通してのあやしさ、いやもう言ってしまえばアラビアンな事物に私達が抱く妙な神秘さをこれでもか！　これでもか！　と盛り込んでくれてるわけですが、金管いいなあこれ。特に低音。一分三十五秒あたりはミュート付きペットか。あやすぃ。ここの木管も恰好良いってもうこの人については本当感想書いてるとキリないですが、それにしてもこの二曲は個人的に今回のCD七十六曲の中でほとんどベストでした。また聴きたいなこの人の曲。&lt;br /&gt;　本当に最高でした（8君超ありがとう！）。この二曲が結局ベスト。&lt;br /&gt;　オチではないですが、『吹奏楽のための「風之舞」』の妙な同人くささはどうにかならんもんですか。同人くさくなくとも何かこれ、だめなゲームっぽさが感じられてならんのですが、これが感受性の貧しさというやつでしょうか。&lt;br /&gt;　以前聴いたものですが、「K点を超えて」「栄光をたたえて」も良曲ですね。前はさらっと済ますわりに、なかなかメカニックな印象を最近受けました。いやそういう曲想じゃないんだろうけど、最初のあたりはシンプルさが突き抜けてメカニックな雰囲気です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　これ書くのに興奮しすぎて疲れた。書き過ぎ。&lt;br /&gt;　明日8君にNaxosのヴァレーズを貸そうと思ってます。アルカナとか入ってるやつ。しかしどんな反応が来るか楽しみだ。&lt;br /&gt;　バトン見つけました。音楽ネタはしかし何の役にも立たんな本当。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　※Musical Baton&lt;br /&gt;　質問は四つ。五人に回して。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;●最後に買ったCD&lt;br /&gt;　R・シュトラウス「家庭交響曲」「死と変容」。エリアフ・インバル指揮のCrest 1000のあれです。ポイントカードが溜まって1000円割引だったので。　家庭交響曲はアダージョしか聴いてない。インバルの指揮とはいえ……題材が。しかし「死と変容」は熱いアホロマン系音楽です。これはなかなかかっこよかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;●今聴いている曲&lt;br /&gt;　「吹奏楽の為の序曲」今パソコンに吹奏楽しかないのだ。クラシック容量多過ぎた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;●よく聞く、または特別な思い入れのある5曲&lt;br /&gt;　五曲は少な過ぎる……まあ、何とか絞ろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;■R・コルサコフ「シェエラザード」&lt;br /&gt;　これはダメだ。ホントにダメなぐらい素晴らしい。ばっどりーってやつである。個人的には男性的な、マチズモっぽい「海」「サルタン」と、女性的な「シェエラザード」のかけ合いっぽく読んでる。だから正直、いや現実はシンメトリーを好む（byぼるへす）どころか自分の勝手な解釈なんだが、シンドバッドの王子は女の子なんじゃないかなあと思ってる。そんな適当な解釈ですが、しかしこれは本当に筆舌に余る超名曲。有名過ぎですが、でもこれ本当ね、どこを切っても突っ込む所がない。というか、アホいのだ、この音楽。美しい通り越してバカっぽい（その上に見事な美があるわけですが）。シェエラザードの細い弦楽器の叫び（本当に原始の巫女って感じにひゅーって叫ぶのだこれが）がエロいことこの上ない。あまりに女性的な音楽と、そしてイケイケドンドンなサルタン旋律が全体的にすげーエロイ音楽である。R・コルサコフはこういう「バカ」とか「エロイ」とか、そういう意味で非常に優れた作曲家だと思う（私はそれはこの世ですごく大切なことだと思っているわけで）。だから本当にこの一曲は外せません。「スペイン奇想曲」もちょっと考えたけど、「アルボナーダ」「ファンタンゴ」しか聞かないからなあ。しかしこの二曲に関してはやっぱりすげーコンポーザーだと思うぞリムスキーは。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;■バルトーク「管弦楽のための協奏曲」&lt;br /&gt;　まあこれもメジャーどころ。打楽器チェレスタ弦楽器も考えたのだが、総合的な完成度から言うとこっちだと思う。特筆すべきは第二楽章、第四楽章、第五楽章。第二はアホい。ちゃっちい怪しさがあるのだ。でもそのちゃっちさのなかに、金管コラールが妙に静謐に聞こえてくる。このおどけた神秘がバルトークの怖さだ。第四楽章もすごくしょうもない出だしで始まる。何かメッキっぽいのだ。ところがそれがショスタコーヴィチのあの不気味（恰好良いけどあれ怖い）なテーマがゃってくる。トランペットのトリルバカ過ぎて素晴らしい！　しかもその後のトロンボーン（かなー？）がまたアホさに拍車をかけてくれる。そのあたりの意外性というか、見るからに「驚いたかー！」って根性が大好きなのである（正直に言えば、あの不気味さの毒に負けず劣らずの怖さを孕んでいるような気もするが）。しかもそこに到るまではなんか所々間奏曲にそれこそありそうな、ちょっぴりエレジーっぽい憂鬱でにぶいメロディーが飛来してきたりして、もう何が何だかさっぱり解んなかったりする。第五楽章はバカ全開である。なんだこのぐねぐねじゃかじゃかのテーマは。しかしホルンの豪勢な出だしに始まり、弦楽器はアホ熱い。フルートとかマジ格好良過ぎる（こういう熱さと気持ち悪さの同居がバルトークの愛すべき鬱陶しさだと思う）。終わり方も素直に終わらせない（本当もっと素直になってください）。その素直じゃない、天の邪鬼めいたところ、でも意外と知的なあたり、そして何より全編アホさを貫くあたり、この曲も本当に大好きである。しかし音楽の話してるとバカやアホやが一杯出てくるのは我ながらどうかと思いますホント。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;■サン＝サーンス「組曲」&lt;br /&gt;　赤と黒ではお世話になりました。マイナー作品っぽいのですが、これがサン＝サーンスのロマンチックぶりがこれでもかこれでもかと詰め込まれまくりの超良品です。後、ほとんど卑俗と言っていいレベルの、ソープオペラっぽい音楽です。「前奏曲」「セレナード」なんてホントメロドラマもいいところの曲調ではあります。でもこれが中々侮れないもので、チェロの太い音色で支えてもらうとブラームスの交響曲第三番顔負けのロマンチックさ（シューマンと書いたがさすがにあの孤独なロマンにゃ勝てんかった、残念）。一見滅茶苦茶安普請な二曲に見えるんですけど、チェロの重々しいセンチメンタルとピアノが相まって最高。「スケルツォ」とここまで三曲は本当に古典的組曲って感じで、ぼんやり聞いてると踊りに直結した情景、というのがふわっと来る感じ（勿論そんな曲想じゃーないとは思うのですが）。サン＝サーンスのチェロは本当「白鳥」よりこれとチェロ・ソナタ第一番の第二楽章、第二番の第三楽章で聴いた方がいいと思うんだけどなあ。にしてもこの俗っぽさは好きですね。俗っぽさとロマンのスレスレのラインがサン＝サーンスの見所。「ロマンス」は本当にロマンス。これはそれ以上語る言葉がないです。落涙もん。「フィナーレ」はチェロがー！　チェロがー！　しかしピアノに全く触れてないですがピアノも超きらびやかで華麗です。これ聞いてるとフランス音楽の散策というか、誰もが通ってきた小道をちょっとだけ覗見させてもらえるような気持ちになるです。チェロの弦弾くとことか超かっこいいなあ。実際は先に挙げたソナタ第一番の二楽章、二番の三楽章も合わせて、ということで。個人的には「赤と黒」のテーマっぽいイメージまで入り込んでるので、その分も合わせてここに。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;■シベリウス『交響詩「大洋の女神」』&lt;br /&gt;　海の牧歌。何か妙にコロケーションがしっくり来ない二つであるが、こうとしか言い様がない。「ポホヨラの娘」と迷ったがこっち。ストイックなシベリウス音楽がロマンと融合したらこんなに愛らしい音楽に。というかそれが感動なんだが、ひたすら揺れる。波が揺れる。海が揺れる。それだけの音楽という気がしなくもない。でもよく聴いてみると、「ポホヨラの娘」に負けず劣らず力強さの漲った曲だと思う。弦楽器の緊張ある振動とか、弦楽器の弦と打楽器（鉄琴っぽい）のかけ合いなんかを聞いていると、ああやっぱフィンランディアの奴だよねって気にはなる。ロマンティック、ではない。あくまで禁欲なのだ。眠るように聞きたくなる。音楽そのものに眠りながら目覚める、ということが内包されている。というか、そうした動静両方の可能性を秘めたもの、それが海、ではある。海のエスノというか、海の言語、というものをまざまざと見せつけられてくる感じ。波が高まり、水が高揚していく、はっきり言ってすごく怖いところだ。でもそれが突然ふわっと落ちる。遠くで小唄、舟歌とかじゃなくて、何かの民謡っぽいフレーズが飛んでくる。海の底にある音楽のかけらが、ふわっと滲み出てくるような、そんな瞬間に立ち合えたような。すごく愛おしくなる。それが本当にどこかの国の歌であるかどうかなんて解らないけれど、それが海の身体から湧き出たのは確かだ。牧歌であり、同時に賛歌だし、圧倒させられる音楽であることはとにかく間違いがない。このあたりは「アンダンテ・フェスティーヴォ」でも同じだ。シベリウスの音楽は個性がないというか、とにかく簡素という他ない。それだけにあらゆる音楽のピースの可能性があるんじゃないかなあと思う。しかしシベリウスだと上二つで許されたような語彙が全然支えないですねホント。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;■チャイコフスキー「イタリア奇想曲」&lt;br /&gt;　まあ、色々ある。最後の一曲に選ぶならミヨーとか、ファリャかなあと思ったけど、でもアホいクラシックに目覚めた一番の最初の曲が（実際にクラシックいいなあと思ったのはサン＝サーンスの「動物の謝肉祭」だったのですが）これだ。今きいてもアホいと思う。初めの能天気でカッコイイトランペットからしてそう。アホいのである。「バイオリン協奏曲」もそうだが、チャイコフスキーのアホさは能天気である（すごくトラゲディックな人生を）。ボンクラ音楽なのかもしんない。そのあたりが私の甘ったれた根性と親和性があるのかもしんない。でもこれはホントにバカ一直線の音楽である。メロディーで勝負やったろやないか根性まっしぐら。弦楽器も煽る煽る。もちろん、「四季」のメロディアスで、ところどころに見え隠れするロシアンなメランコリックもチャイコフスキーの魅力だ。この曲にも、やはりイタリア特有の（メンデルスゾーンの「イタリア」でもビゼーの「ローマ」でも書かれた）あの憂鬱っぽいメロディーが飛んできたりはする。要は躁鬱くさいんだと思う。でもとにかくチャイコフスキーはメロディストで、もし人間普遍の音楽というものがあったら、残念だけどチャイコフスキーはそれに選ばれると思う。ベートーベンなりモーツァルトなりシューベルトなりは古色蒼然（←これ「こしょくそうぜん」なのね！　ずっと「こしきそうぜん」って読んでた！）ありまくり、ショパンやシューマンはロマンチックすぎてどっちも「うげ」ってなり（シューマンは大好きですが）かねないのですが、チャイコフスキーはそんな風に言われてるところを見たことがない。何でだろうね、と思うと、たぶんそれは「アホい」詩的才能だったのだと思う。サン＝サーンスのような俗っぽさとはちょっと違うけど、チャイコフスキーは「詩」の部分とほとんど通俗的な、「三文小説」に近い（これは決してマイナスの意味ではないし、それを持ち得る、失わないということは絶対に大切なことだと思う）二つの部分があるように思う。そのあたりがたぶん誰にも受入れられる理由じゃないかなーと思うのである。曲について。第二部の軽快なメロディーももちろん良いのだけどこのあたりは全然序の口。問題は最後のタランテラの爆発的な展開。「なんじゃこれ」と初めて聴いたときはすごくびびった。えーまじかよ、こんな風に進むのかよと正直怖く思ってるところにどどーんと爆発してくるのだからこれは参る（爆発大好きです。ベルリオーズの「ローマの謝肉祭」とかも良い爆発加減でした）。本当に最後の連続的な音の群、今聴いても大好きです。ていうか展開おかしいだろ。熱くなりすぎ。そしてちょっと冷めたかと思えばイタリアの例の小唄です。勘弁してくれ。熱狂もいいところです。何だこの最後の無理くりな金管の飛んだり跳ねたりは。段々イタリアじゃなくなってるあたりももう笑えるレベル。今改めて聴いたけどやっぱこの曲最高です。言葉に出来ない。&lt;br /&gt;　同じ熱いのだと「エフゲニー・オネーギン」のベタすぎの「ポロネーズ」と祝典序曲「1812年」も該当しますが、選んだのはこっち。思い入れの深い曲、となるとどうしてもこれが真っ先に思い付きます。しかし今改めて思うと自分本当クラシックが好きなんじゃなくて、クラシックの中のアホさ（あるいはポップスっぽいのかなあ）が好きなんだろーなーとは思いました。たぶん、根っからの好きではないんだと思います。でもそういう通俗が見え隠れするクラシックが好きです。一回飽きてもまた聞きたいなあってなるしね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;■バトンを渡す先5人の犠牲者（この無駄に長い長文の後で見つけてくれる人がいるのかどうか）&lt;br /&gt;◆杞憂さん←杞憂さんいい音楽きいてるよねいつも。「これきいてるよ」っての教えてもらうと感動する。&lt;br /&gt;◆かにさん←かにさんが意外と何きいてるのか解らない。何だろう。&lt;br /&gt;◆りんちゃん（鈴一さん）←りんちゃんもほとんど音楽の話をきかないので解らない。&lt;br /&gt;◆まつもり（仮名）とだいちゃん（仮名）←リアルネタだよ。Mixiとかで答えてくれ。ついでにみんなに回してみんなの音楽趣味を暴露させていてくれたらありがたい。&lt;br /&gt;◆鮭←おまえはわかる&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　六人じゃん。&lt;br /&gt;　音楽の話で今までにないぐらい長ったらしく書いた。どこ宛の発信だこれ。&lt;br /&gt;　あー誕生日終わるよう。何か書かなきゃ。いつのまにか小説書くよりよっぽど情熱入ってきてるじゃん。&lt;br /&gt;　昔の自分のレビューすんぞ。色々あるなあ。チャイフスキーつながりで1812聞きつつ。後父親がプレゼント買ってきてくれた。音楽ギフト券5000円分って何それめっちゃありがたいプレゼントじゃないか（去年はイヤホン）。とりあえず父ありがとう。めっちゃ良いプレゼントですホント。&lt;br /&gt;　今りんちゃんに言われたのですが、今日はどうも永遠の十七歳への入口だったみたいです。なるほど。これが噂の十七歳か。昔の小説に入る。&lt;br /&gt;　ココログの接続悪いぞ大丈夫かこれ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　やばいぞ、昔の自分のブログが気持ち悪い。今も痛いけどね！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;◆「豆腐カプリッチオ」&lt;br /&gt;　見当たらん。どこにやったんだこれ。キルケゴールとか懐かしいなあ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;◆「アンノゾ祝祭譚」&lt;br /&gt;　うわあこれはひどい！　「飼い主の老婆は、朱色の三日月に指をやっては、月が落ちてくる、早くこの街から逃げろ、と叫び続けているうちに、泡を吹いて死んでしまった。」すげえ苛々するこれ。長いなあ。切ればいいのに。これ元ネタ何だろう。とりあえずシェラがバテンカイトスなのは確定。帝国云々みたいなのもどう見てもそれっぽいなあ。「そして今は亡き息子の銃を迷うことなく握り、月、墓、街に向け三発打った。最後に彼女は自分に向けて撃った。」あたりはまだ読めるかなあ。「この街は骨董品ね」「踊り狂うフルーツ。随分とフルーティなダンスだ」う、うぜえ。これは気持ち悪い。「旅行者パキラと神官ラデヌ」どんなネーミングだ。抑圧された国民性が一気に暴発する過程を描きたかったのかなあ。これ旅行者のお姉ちゃんが気狂いになって、自分を捨てた男と弟を取り違えて弟が散々嫌な思いをするって話だった確か。書けよそんぐらい。所々まだ見れるフレーズはあるけど、全体的にやっぱしんどいなあ。しかし「お前、泣いてるな、泣けよ、ほら泣けよ、泣け、泣けよ」はきもいぞ。しかし全体的にきもいし大江だが、大江っぽいパニックな祝祭の雰囲気が書きたかったのは解るかな。ひどいけど嫌いではない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;◆「月泳ぐ・ピアニシモの日々で」&lt;br /&gt;　これは一体何だ。プロムナードは展覧会の絵からのパチリ。クラシック聞き出したのはこの辺からか。「みどりの月」角田光代。行方不明者ネタ。小川洋子の「偶然の祝福」の一番最初の話にこの手の話があった。これのパクリ。伯母さんネタなんてまさにそれ。あっちは飛行機のゲロ袋収集が好きな人だったなあ。&lt;br /&gt;　ああそうだ、この話全部「キッチン」読んで書いたんだ。ばななの。思い出した。&lt;br /&gt;　セイン。FFTAの二次創作で見た、青魔道士の名前だ。懐かしい。そこからのパクリだろう。童話読みにくい！　しかし素直だな。妙に説教臭いけど。「セインには左足が無い。正直さも、誠実さも無い」嘘付け、お前の面倒見てたの考えればずいぶん誠実だぞ。セインが吐いたのは、壁井ユカコ「カスタム・チャイルド」の主人公が、母親の姿見て吐いたところに着想があるはず。主人公が三人で暮らしたがるのは角田光代「幸福な遊戯」だろ。主人公が家に押しかけるあたりの文体はこれはもう間違いなく壁井ユカコ「鳥籠荘の今日も眠たい住人たち」で確定。「失われる物語」乙一か、GARNET CROW。「キッチンで思い出す」のはよしもとばなな「キッチン」のせい。「彼方まで光を」GARNET CROW。劇中の百貨店は近鉄百貨店がモデルだった。「夕陽っていうのはさ、オレンジの皮の亡霊が寄り添って出来たものらしいよ。生ゴミに捨てられた、ね」うぜえ。&lt;br /&gt;　あー解った。これ、「鳥籠荘の今日も眠たい住人」のパチリなんだ。キズナと浅井有生と、由起の話だろうこれ。じゃなかったとしてもすごく影響受けてるなこれ。だから誠意がないって書いてるんだ。なるほどな。&lt;br /&gt;　「不安定ですが、走ろうと思いました」ここの情景、どこだろう。どこかをモデルにしてるのは間違いない。でもどこか思い出せない。道明寺のあたりだろうか。「涙とグラビティ」坂本真綾「gravity」。「グラビテーション」これも着想は同じ。「開けちゃ駄目だよっ」えー。「ダイニングの食卓下に潜り込み」これも何かの小説にあったぞ。思い出せないけど。詩。何じゃこりゃ。「brighten us」鬼束ちひろ「brighten us」。「Euphoria」牧野由依「ユーフォリア」。「Mildly did the soul flow into that glorious river」倒置してるのはちょうど塾で倒置構文を習ったから。「glorious」愛内里菜「glorious」懐かしすぎるだろ。「God，give tender fortune to souls without being guarded」何だこの鬼束レベルの英文法は。「holy ground」GARNET CROW「holy ground」。「harmonious」アルトネリコ「ハーモニック」とか何とかから。「おなじだけのテンポで」オナニーマスター黒沢の最終話に同じのがあったような。&lt;br /&gt;　「一番星」Suara「一番星」。&lt;br /&gt;「cradle」ゲーム「Soul Cradle」間違いない。「ephemeron」蜻蛉だっけ。「the starry」「Starry Heaven」TOS主題歌。「hermaphrodite」何この単語、まったく解らん。「chrysoprase」いやこれも解らんぞ。&lt;br /&gt;　ここまで読んで、たぶんこれ「キッチン」＋壁井ユカコなのだろうということは確信した。しかしこのエンディング酷いなあ。もうちょっと救われてやってもいいだろうに。セインかわいそう過ぎる。確かセインは最初は主人公を好きだったはずなんだけど、いつのまにかその設定消えてるなあ。ただのいい人。にしても主人公、もうちょっと空気を読みなさい。特にセインかわいそうすぎるぞ本当。主人公もなかなかつらいですが。結構ガチになって読んだ。&lt;br /&gt;　このあとは量産モノが続く。時間間に合うのか。&lt;br /&gt;　うわカテドラリアかよ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;◆「カテドラリア」&lt;br /&gt;　アルトネリコ＋霜月はるか「セカイハカガヤク」。霜月ずっと聴きながら書いてたなあ。それにしても読みにくい構造をしている。面白くはあるが。銅の鐘の詩はリルケのパチリじゃないだろうか？　原作では盗まれた鐘が川底に沈む話だったが、リルケにしては俗っぽいか。ならワーズワースだろうと思う。「魔術師の老人」モデルはオウガバトルのウォーレンだろう。これは自信ある。「絶食芸人」カフカ。ブログに書いてる通りだ。「狭き門」ジッド。「天文台」露骨にアルトネリコだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;◆「わたしがトト・トイレで旅をする」&lt;br /&gt;　見当たらない。舞城だったと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;◆「そして天上電車に見捨てられ」&lt;br /&gt;　序盤の連呼は思いっきり角田光代の「無愁天使」のパチリだろう。「報道ステーションとかであの鬱陶しいコメンテーター？　キャスター？　どっちか解りませんけど、あの一々鼻につく彼」今でも嫌い。「死ぬのは個人の勝手なのかもしれませんが、巻き込まれてしまった被害者の皆さんは本当に不幸だったと思います、言ってしまえば死んだ後は何もわからないわけですが、ご遺族の方の心の傷みを考えると胸が痛むばかりです」これすげえ！　めっちゃ言いそう！　硫化水素自殺が話題になってまたね。「プリキュアカレーおいしかった」妹が好きだった。「おじちゃん方がみっともないヒステリーを起こして駅員の美人さんに詰め寄るわけだ」同じものをマジで帰りの駅で見た。美人さんではなかったが感じのいい女の駅員さんで、これひどいなあと思った。電車の遅れは2時間程続き、その間ずっと志方あきこを聴いていた。「千円サンドイッチ」間違いない。神戸屋のカツサンドだ。丘田さんがいい人なのは角田光代「銭湯」の厄介なクレーマーおばちゃんが実はいい人だった、っていう話から。あれいい小説だったなあ。かなり影響受けてるぞ。「「自分が大根になってしゃりしゃりすられて、すりへっていく感覚」と言っていて、もっとかわいそうなことに、その中絶の原因が見知らぬ男からの暴行だったという。」なんだこのばなな風エピソードは。中絶の感覚書くのはいくらなんでも痛いだろう、ていうか無神経すぎる。これコメディパートとシリアスパートを交互に出して効果を狙ってるのかなあ。死神くんからはプチ電波。「いや、まーとりあえず定期解約出来なくなるまでに死にたいんですけど」父親が定期解約しようとしてたから。「コキュられた」ドフトエフスキー「永遠の夫」。「永遠の夫、ばんざいである。」同じく。「天国地獄ウォーズ」ディスガイアのアイテム名「魔界ウォーズ」。「荒野フィールドにチェンジだの」遊戯王じゃん。「オーギュストとかと同レベルだ」与謝野晶子の子供がオーギュストだっけ？　それをWEB上のクイズで知ってこっちに持ってきた。「あのね、あなた、とてもとても長い間眠ってたのよ。皆で世話に困って、こうして焼こうとしてたの」こんな話が世にも奇妙な物語にあったぞ！　チンピラに刺されそうになって逃げるうちに病院の屋上から落ちる、でも死ねなくて棺桶の中ではっと目覚めるやつ。もしくは大暮維人「魔人」一巻か？　&lt;br /&gt;　ところどころやる気なくなって美談に投げようとしたくだりがあるものの、ユーモアに方向転換できたのはセーフなもんでした。ところどころ荒いけど今の自分のよりはまだマシかなあ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　時間の都合でここまで。相変わらず発信元がどこか解らん。ていうかこんだけ尽くせる情熱あったら中コン出りゃよかった……一日でこんだけ書けるなら何でも書けんじゃん。まあ楽しかったです。永遠の十七歳入りかあ。くそう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ていうか、誕生日にこんなネタしかないって、どうよ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　※この記事は8/17に投稿するつもりでしたが、直前にパスワードもIDも忘れたことに気付き、遅れました。関係者各位、誠に深くお詫びいたします。しかも&lt;strong&gt;ユーザー名わからない→わかった！　ならパスワードは解るだろ→わかんない&lt;/strong&gt;って流れどうなの。それにしてもNiftyのパスワード発行システムしっかりしてんな。おかげでまだ助かりました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　※&lt;strong&gt;いい加減この痛いブログのタイトル変えたいなと思ってます。&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　※ノベルチェッカーもどきで測ったら四十七枚だってよ。アホか。&lt;/p&gt;　&lt;p&gt;&lt;strong&gt;※こんな十七歳は、つらい。&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　※未だにこのブログをブクマしておらず、&lt;strong&gt;未だに形状記憶少女のリンクから飛んでます&lt;/strong&gt;。ていうかあそこ何であんなリンク充実してんの。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　※冷静になって考えるまでもなく吹奏楽からヒートアップしすぎです。誰が得すんのこれ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　※こんなオチ？　うん、こんなオチ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　※念のため。&lt;strong&gt;誕生日は、昨日です。&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>Raise</dc:creator>
<dc:date>2009-08-18T00:09:17+09:00</dc:date>
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<title>Pedestrian Monuments - Measured Monuments</title>
<link>http://hoshikuro.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/pedistrian-monu.html</link>
<description>　なんかこう、日記って歴史の堆積物なわけで、とりわけ一年一年恥ずかしいことを重ね...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　なんかこう、日記って歴史の堆積物なわけで、とりわけ一年一年恥ずかしいことを重ねている身にとってはちょっと洒落にならないぐらい恥ずかしい。日記にも書き手のパーソナリティが出るなあ、って今更ながらに思いました。私はどこにいっても大概は小説で、エッセイにはほとんど手を付けたことがない、ていうかない。だからこう、エッセイの美しい“ぬるさ”のような感覚があんまりない。あれって大切なものだと思います。俯瞰し過ぎぬように、注視し過ぎぬように。そういう感覚は、たとえばプロスペル・メリメのような古典的な書き手の作品の底にある、すごい用心だと思うのです。私はそういう用心さがあまり無いし、メリメは私淑しているけれど、時々はアンドレ・ブルトンのような、あまりに危うい歩み方にも惹かれてしまう。パトスと、物語とを構築する才能と。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　最近、物凄く驚いたことがあって、それはpedestrian（歩行の、歩行者）が「散文の」を意味するのに対して、measured（整然とした、慎重な）が「韻文の」を意味する、ということです。これは私にとって衝撃的な話で、というか最早カルチャーショックでさえあった。散文をそのまま物語と等号を置いているわけではないけれども、Measuredの韻文（ここでは「詩」と等号を置きますが）というのが成立し得るとは思えなかった。私にとって、詩とは、漫然と歩むことであり、豪奢な言葉の奔流を掬い取ることであり、散歩のようなものであった。少なくとも計画というものはなかった。散歩というよりは、放浪とか、当てのないぶらつきの旅に似ている。そうして詩魂の源泉に当たるまで、ぶらりぶらりと待つのです。そういうスタイルで私は詩作を続けてきたし、それは小説においてもそうだった。初めのうちはエスプリも詩もない。それが言葉を綿々と繋いでいくうちに、次第に詩が生まれてくる、あるいは音楽が。私はそういう鉱掘作業のことを物を書く、と呼んでいる。&lt;br /&gt;　当然のことながら、論理というものは確かにある。言葉というものは半ば超魔術的な、こうしたナビゲーション能力を具えてはいるものの、それを信じ過ぎてはいけない、という直感がある。また物書きというのはそういう詩魂と論理のはざまをバランスを考えながら、両極の淵に落込まぬように慎重に歩かねばならない、そうした危険に満ち溢れた旅をさせられる仕事なのでしょう。また私にとって文学とは、当然詩魂は必要だけれども、論理を欠かしたものはそれは文学とは呼べない、と言ったのです。詩にさえ論理はある。筒井康隆の「文学部只野教授」の講義で読んで感心したものの、書き手の名前を忘れてしまいましたが、詩というものは構成や文法、韻が互いに互いを高め合っているのだと言う。論理の魔術。&lt;br /&gt;　とはいえ、やはり私にとって、詩を書くということはPedestrianであり、物語を書くということはMeasuredなのです。だから凄く、カルチャーショックだった、これは。日本の詩歌は礼節としての、教養としての意義を持っていた為に、たとえば「ぬばたまの夜」のような極めてMeasuredな点を孕んでいる。ところが、文語から裂き出した、口語というのは、こうしたMeasuredな点を打ち壊す可能性がある。それはPedestrian以上に、詩の中に立体を生み得る、なにか、なのだと思うのです。それについては、まだ私は今掘り続けているこの言葉の文脈からは掘り当てられていない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ところで今、私は改めて日記について考えさせられている。日記でなければエッセイについて。エッセイというのはMeasuredなのか、Pedestrianなのか。エッセイにおいて最も大切なのは、自己を見つめ過ぎないこと、自己と適当な距離を取り続けること、というのがまず私の認識です。過度に見た自分（あるいは物体）はさながらゲシュタルト崩壊に見て輪郭を失い、また別の何かになっていってしまう（というのは勿論、ヌーヴォー＝ロマンが嫌みたっぷりに教えてくれたとんでもない教訓ではありませんか）。実はエッセイというものは、最も文学に近い道なのかもしれない。Measuredであると同時にPedestrianである、というのは、私の定義においては、前述したことからも解っていただけるように文学なのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　だから私は、また日記を再開しようかな、と思っています。日記というものに現実の事象を持ち込んでくる気は無い。あえて言うならそれはこっぱずかしいのですが、その恥ずかしみというのも、おそらくは私の現実との距離感の取り方にあるのでしょう。私は前々から日記にはSelf-purificationが存在すると考えていた。物事を言葉に還元する——すべての物事が言葉からできているというのはいかにもロマンチックの過ぎた観点ですが——ことで、再度物事を構築していく。この構築の作業の中に、人は物事の浄化を見ることができるのです。だから人は「愚痴として」「泣き言として」日記を書き、そして大概の場合はそれで満足する。それを私はSelf-Purificationと銘打っていたのですが、恐らくこれも、Pedestrian（論理の無い現実、不条理的な現実）とMeasured（現実とは相違なる論理性）の間に事象が据え置かれることから得られた結果なのでしょう。人が文学に魅了されるのは、不条理（偉大なるカミュの美しい発見へ最大の賛美を）と条理（言語の論理）のはざまに自らを回帰させることを体験出来るからなのだと、今私は思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ちなみに私自身、この日記の文章は物凄く読み難いだろうな、と思います。実のところを申しますと、私は日記を書く瞬間には何も考えていない。いや今だって何も考えていない。それはやはり、Pedestrianな言葉の論理の魔術に導かれて書き続けているものだからなのです。だからこの日記に的確な論理展開を見出すのは極めて難しいでしょう。ある意味ではそれは、アンドレ・ブルトンが語ったオートスクリプトに通じているのだと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　作品目録。今、この作品群について語ろうとは思いません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;○「犬猫ソネチネ」（&lt;a href=&quot;http://www.biofan.net/patio-konte2/patio.cgi?mode=view2&amp;amp;f=1115&amp;amp;no=13&quot;&gt;→&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;○「ジムノペディの眠り」（&lt;a href=&quot;http://www.biofan.net/patio-konte2/patio.cgi?mode=view2&amp;amp;f=1121&amp;amp;no=07&quot;&gt;→&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;○「徒然河」（&lt;a href=&quot;http://texpo.jp/texpo/disp/17296&quot;&gt;→&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;○「グランド・ピアノ・ブリラント」（&lt;a href=&quot;http://www.biofan.net/patio-konte2/patio.cgi?mode=view2&amp;amp;f=1075&amp;amp;no=14&quot;&gt;→&lt;/a&gt;）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　それと今は文芸誌を読んでいません。文芸誌よりも読まなければならない書物が膨大にあることを最近ようやく感じました。たとえば今のPedestrianとMeasuredの話は、アンドレ・ブルトン無しでは思いつかなかったろうし、メリメの冷徹なまでの古典的な観察性を知らなければきっと適宜な例を思いつけずに筆を擱いてしまったことでしょう。ロブ＝グリエや、バルガス・リョサ、ドーデーの「アルルの女」やイブセンの「ペール・ギュント」等、読みたいもの、読まなければならないものは幾らでもある。文学に従事したい、という気持ちは最近とても強い。ただそれは、文学部に行くことが文学を学ぶ者としてのライセンスを与える、という認識には繋がっていません。私は、人が生きる以上は、文学を知らなければならない——また私達は生きる上で、驚くほど身近に文学を行っているものです——と思うのです。また英知は、半分までは言語が与えてくれるだろうけれど、また半分は原語を足場として高くを見やる者にのみ許されたものなのだろう、とも。&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>Raise</dc:creator>
<dc:date>2009-03-10T17:06:54+09:00</dc:date>
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<title>【時祷音楽】むなぐらシュミレーションな話</title>
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<description>　なーんかすごいどうでもいいことを話しています。「胸ぐらを掴んでくれって頼まれた...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　なーんかすごいどうでもいいことを話しています。「胸ぐらを掴んでくれって頼まれたとき人間どんなぐらいの力でやるんだろ」みたいな事を友人と話していてむなぐらシュミレーションを決行するぐらい、ゆるゆると生きています。まー吠えたり強面で迫ってきたり思いっきり引っ張ったりはたまたゆるーく優しく引っ張ってくれる人も居たりですが、個人的には「（お前を掴むのは）何か嫌だ」と言われたのが一番ダメージ的に大きかったです。サックスの人は天然サディストなのか。&lt;br /&gt;　時間がないんでいろいろ加筆します。後付け最高。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（1）「時祷音楽」（→&lt;a href=&quot;http://www.biofan.net/patio-konte2/patio.cgi?mode=view2&amp;amp;f=1081&amp;amp;no=11&quot;&gt;こっち&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;　リルケが好きです。リルケで遭遇したような単語をたかたかちりばめています。趣味です。インネンリウムとか、「ただ富んでいないわたしたちは、あるがままに貧しい」とか、「貧しいものの家は聖餐台のようだ/その中で永遠なものが食物となる」とか。リルケリスペクト。時祷音楽というタイトルもリルケの「時祷集」から頂きました。時祷っていいワード。&lt;br /&gt;　リルケがさんざん言ってきた神様と、旅人と、機械をたぶん掛け合わせたような感じ。旅人は世界全部の表面を滑走していく。土着する精神は無いし、ずっと放浪する。それでも旅人だけは宇宙のどこか片隅で静止している。旅人は旅人を逸脱出来ない。&lt;br /&gt;　この小説を具体的に書かせたのは、たぶんP・オースターの「偶然の音楽」だったんだろうなあ、とか。アメリカの風土をなぞるだけのナッシュの視点が好き。壁を建てていくことで次第に旅人であることを失っていくところも好き。そして土着寸前に至ったところで死を選んでいるようなところも好き。娘を放り出して死に衝突する、ナッシュのひどいぐらいの無頓着さへの頓着、にすごい感銘を受けたのです。後小川洋子が巻末に残してあるテキストも良い。「時間と場所がいくらスピードに乗って流れ去ろうとも、ハンドルを握るナッシュだけは“完璧な静止状態”にある、宇宙゛て唯一の“固定点”となっているからだ」。&lt;br /&gt;　「ぼく」の敗北は、たぶん「かのじょ」との別れが旅の終わりだったから。でも旅を終えた「ぼく」にはもう清々しい沈黙しかない。ぼくはこれから、西の海の工場で静かに生き続けるだろうけれど、すでに「ぼく」のなかの旅人は片目だけ永遠の中に葬られている。旅人というのはもしかするとそういう種族なのかもしれない、と「かのじょ」に植え付けてみた。無頓着に頓着出来る生き方なんて、たぶん神様めいているし、同時に機械めいているかもしれない。「帰ってもいい」という選択肢が眼前にあって、そして頓着せずに無頓着でない方向を選択した「ぼく」は仮初めの旅人だった。けれど「ぼく」は旅人に憧憬することは出来る。だから「ぼく」は捧げる。旅人で居られないことは自明。またあるいは、旅人で居られないことが同時に旅でもある、すべての生命は時間化して流動。どうであれ「ぼく」は今、不可能の壁にぶち当たって幸福。旅人であるということは、宇宙の静止に耐えられる人間。音楽はあるいは宇宙の静止ではないのかもしれない。躍動、ディオソニュス的な、ものかもしれない。けれど旅は、拷問のように、アポロン的。&lt;br /&gt;　好きなものを、一杯ちりばめました。中編コンテストに提出して結果は悪かったんだけど、すごく素敵な話になったと思います。未開の原始林をまさぐるような、そんな神秘の経験が、書きながらあった。シューマンが好きなので謝肉祭を埋めて、リルケが好きだから詩を埋めて、読んでみたいからスタニスワフ・レムを埋めた。すべてここに、自分がある。これ以上自分のために書いたテキストは、今までには無かった。だから何言われようとも好きです、この作品。個人的に大好き。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（2）「プラナリアは地図する」（→&lt;a href=&quot;http://www.biofan.net/patio-konte2/patio.cgi?mode=view2&amp;amp;f=1058&amp;amp;no=09&quot;&gt;こっち&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;　プラナリアは山本文緒さんの小説のタイトルからかっさらっていきました。ちょうど谷崎由依「冬待ち」読んだばっかりなので、色々とモチーフ拝借してる。図書館とか。図書館は「冬待ち」の舞台があんまりにも素敵だったのでつい借りてしまった。&lt;br /&gt;　中身は普通のカップル話というか、距離感を保ってみよう、みたいな話なのかも。「どうしてあなたは、わたしをわかってくれないの」「どうしておまえは、おれをわかってくれないんだ」というこのお話で、二人ともが無理解の関係。餌やりとか世話見してくれるとかで、結構依存しているんだけど、別に恋愛関係であるわけでもないし、ただどうしようもなくて二人で居てる。そんな二人がどうやって生きていけばいいのか、というシュミレーションで、分裂だったのかもしれない。パラレルを描きたかったのはあったし、東浩紀の「キャラクターズ」には物凄く影響を受けて、だからこう、ループする現在、のようなものを書いて、そこにある救済を求めたかった。結果的に救済は成し得たと思います。時々でいいから自分をやめてみよう、というのはすごく説教臭いしつまらないし月並みの文句だけれど、あれが物語の帰結として、そして分裂を肯定出来る自然なフレーズだったし、またわたしも最終的にキャラクターたちにそう予言される。人間もよく分裂してる。その分裂はあんまり悪いことじゃなくて、むしろひとつのチャンスぐらいに考えていいんじゃないかな、と思うのです。わたしはわたしをやめられるから、わたしでいられる、というのは、個人的には祈ってる。であったらいいな、って。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（3）「ロイヤルイチゴミルクティー」（→&lt;a href=&quot;http://dqm.s198.xrea.com/patio-s-kontesuto/patio.cgi?mode=view2&amp;amp;f=1991&amp;amp;no=10&quot;&gt;こっち&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;　何だっけ、壁井ユカコの小説にこんなタイトルのがあった気がする。確か着想はそこ。中身はちょっとお寒い。好きだけどちょいお寒い。&lt;br /&gt;　中身も壁井ユカコです。壁井ユカコ大好き。&lt;br /&gt;　語ることがありません。一時間で書いたやつ。家族という関係環ってやつ。微妙にこじれてるけどまーそれでも生きていけるからいいんじゃないって、すっごくゆるるーな話です。後「頬に冷たいものを感じた」は指定の書き出しだったので。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（4）「シュンポシオンのカレー」（→&lt;a href=&quot;http://texpo.jp/texpo/disp/13351&quot;&gt;こっち&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;　プラトンの「饗宴」は好きじゃないっていうかギリシャ人があんまり好きじゃないです。だからわざわざ「シュンポシオン」と銘打たせていただきました。対抗意識っていうかね。中身は自己解決話。小説で自己解決って駄目なんでしょーか。自分もよく自己解決してしまうわけで、何かをきっかけに物事が変わったーなんてのを体感したことはあまりありません（困難に差し迫ったときは他の人に助けてもらうので、そういうときはすごく他人を有難く思うんですが、鬱ってたりすると基本的に自己解決）。そういう意味で中身はすごーく自己解決話です。やっぱ小説で自己解決って駄目かなあ。本当は結構みんな自己解決すると思うんだけどなあ。中身は下品です。下品なパワーみたいなものが何か書きたかった。ディオソニュスとアポロンは哀しいかなニーチェで、動物園は松尾スズキの「女教師は二度抱かれた」からの着想。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　音楽のはなし。&lt;br /&gt;　2008年度吹奏楽コンクールの曲聞きましたー。「天馬の道——吹奏楽のために」がいちばん好き、躍動躍動ー。「晴天の風」はホルンがめっちゃめっちゃ格好良かった。なんかすげーかっこいい、好き好き。「ブライアンの休日」は特に思うところなし。「火の断章」は課題曲Ⅴとして微妙過ぎ、「風の密度」とか好きだけどなーんかなあ。「セリオーソ」は何か言う言葉が見つからない。「パルセイション」とかの系列なのかもしれないけどあれに比べるとめっちゃ劣る。&lt;br /&gt;　GARNET CROWの「夢のひとつ」購入。「短い夏」が歌詞・メロディー共に好き。ここまで投げやりさを体現したメロディーって中々無いよね、ダウナーでいい感じ。ダウナーなんだけど根底は意外と爽やかっていうか、そういうのってすごく詩情の時間に似ている感じ。「Love Lone Star」は回帰だけどやっぱ歌詞がいいなあ、イントロにちょっと不安を感じるけど。ボーカルがすごくきれいに聞こえる。「夢のひとつ」は電子音が最高だ。おじさんは良い仕事してる、あの電子音が最高。歌詞も好きです何か。今回のシングルは「argentina」までのチャレンジは見られないけれどかなり上がり調子。GCは下手にアルバム出すよりシングル一杯出してほしいかも。&lt;br /&gt;　鬼束ちひろの「蛍」購入。「蛍」はピアノバラード。時間＝蛍のイメージなのかなあ。歌詞はシンプルになった分力強い。蘇生感覚。「Hide and Scream」はシンプルなアレンジが映える。今回のアレンジャーは全体的にすごい素朴な音楽造ってくるけど、それぐらいが今の鬼束さんに映えてくる。羽毛田さんとはたぶん別れた方がいいかもしれないなあ。羽毛田さんのアレンジはちょっと、人間離れしている感じ。光がありすぎたりその真逆だったりして、根底の力のようなものがどこかで失われてしまっている感じ。今回のアレンジャーの方にはすごく生命感を感じる。だから蛍は生きている、みたいな。&lt;br /&gt;　「NHKアルバム名曲シリーズ」から「アランブラ宮殿の思い出」を。1000円でこんだけのボリュームは素敵。昔聞いたシャブリエの狂詩曲「スペイン」がやっぱり良かった、金管がすげー素敵だー。初めて聞いたファリャの「火祭りの踊り」はピアノがすげーかっこいい。後表題曲、タレガのアランブラ宮殿の思い出も良かったです。スペイン音楽素敵。ギター素敵だ。「アストゥーリアス」オススメ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　読書のはなし。&lt;br /&gt;　印象に残ったテキストは以下。P・オースター「偶然の音楽」、谷崎由依「冬待ち」、幸田文「父」、楊逸「金魚生活」、松尾スズキ「女教師は二度抱かれた」、東浩紀「キャラクターズ」、筒井康隆「文学部唯野教授」、チェーホフ「ともしび」「わびしい話」、よしもとばなな「新婚さん」「キムチの夢」「大川端奇譚」。時間が無いので随時感想追加ですぐう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（1）谷崎由依「冬待ち」&lt;br /&gt;　谷崎由依さんという人のことをよく知らなかったのですけれど、すごく良い小説でした。言語空間というか、インネンリウム（内部空間）の体積が大きい。同じ号の「湖水浴」「3という数字」が恐ろしい勢いでつまらなかったのに反して、この小説はすごく良かった。何ていうか、世界が広い。散策出来る。自由な世界。&lt;br /&gt;　たとえば冒頭部の冷蔵庫の描写がいい。「扉を開けると、橙色の夕暮れのようにぽっかりと開いた空間がある。食べかけのピクルス、鰯の油漬けの瓶、ドライトマトが入った袋、封を切ってかなり立つベーコン、使い切ることのできないであろう幾つもの卵たち」とか。何というか、ヒキコモリのにおいがすごくふんわりと来る。珈琲のアンニュイさとか、埃だらけの部屋とか、鮮度の落ちた食材とか、この糸乃の世界が大変に美しい。「重要なことはいつも忘れてしまう」糸乃の、アンニュイで、ちょっぴりペシミスティックなんだけど、それでもゆるく生きている日常が、すごく素敵です。でも神秘なんだ、何かが、鉱石のように緻密に形成されている。図書館の描写。「木製の机に席を占める人々は、各々のうちに没頭している。その背中越しに窓の外の緑が光る。あからさまな昼の真下にいても、人々の裡には夜が広がっている。この夜の中では何にも曝されることはない。」そしてまた「窓の外の緑」の描写が次元的。「眼の端で緑の葉先がゆらめく。窓の外で欅が揺れる。ゆうらりい、ゆうらりい。この世のものとは別のリズムで。糸乃の目はそこにくぎ付けになる。欅の枝の、揺れるその動きの緩慢に、消える、すべてはこの一瞬に、夢と消える、と思った。」また部屋に戻って洗濯機。&lt;br /&gt;　何ていうか、幻想的なんだけれど、すごく緻密な生活の上にそれがある。詩情というものは生活に接しているのかも知れないわけで、こういうスタンスが好きです。中身は関係性のお話なのかな。糸乃を取り囲む人々。名前が同じだったり愛してくれたり消え失せていったりしてしまう人々。でもたぶんこの小説の帰結は、糸乃がようやく季節感を勝ち得て冬待ち出来るように、新たなる出会いなんだと思うのです。だからエリオットの「荒れ地」なんだろーと思うのです。私達は「荒れ地」に生きていて、《きみの隣をいつも歩いているその三人目》に脅かされているのかもしれない。《関係性の荒れ地》はまさしく糸乃が経験してきたことで、糸乃は三人の宇宙の一要因として拘束され続けてしまっている。《何でも言葉にしようとする》惠子と、椎野と、糸乃と。糸乃は結果的に惠子に苦しんだ。関係性に射止められた。それは既に豊饒の地ではなく《荒れ地》。そして糸乃と椎野が消え失せた今、本当は糸乃は歩き出せるはずなのだけれども、香川という《雨傘のようにしか必要としない》シェルターを作ってまで《図書館のような》関係性に落ち着こうとする。それは無理なんだきっと。本当は接さないか極々深いところまで突き詰めてしまうかどっちかで、中途半端なことなんて許されない。だから二度目三度目の関係性の崩壊には、生半可からゼロに回帰する痛みが生じてくる。糸乃は《わたし》を持ち得ない、ある種のボヘミアンであるのだと思う。《わたし》を取り囲むはずの壁ばかりが成長してしまっているそんなボヘミアン。糸乃は「お互いを、理解、しようとする、こと」しか求められないのかも知れない、あるいは。お互いに苛立つこととか、極々ナチュラルに合っていいのにやらない。それはやっぱり惠子という人間の存在が陰影を落としているのかな。三人の関係性に微妙な高低差があったから、その円環は崩壊することとなった。《図書館のような》関係性とは、たぶん高低差の無い関係性のことだと思う。でもやはり香川が慧子に「会わせて」と云ってしまうように、そんな関係性は成立し得ない。でも本当に関係性ってそんなに大変なものなのだろうか、ということ。慧子があんなにも簡単に関係性を壊してしまったように、反悲劇的に壊してしまったように、実は普通のことなんじゃないかな、ということ。私達はそうやって日々関係性を看過している。最後に椎乃という、今はもう関係性を失った人の亡霊のようなものが告げにやってきてくれる。「書いてないことはすべて決まっていない」と。関係性とは書き込むことだ。意識して創造していくもので、そこには生命とかバランスとかはない。それだけのことなんだ、という。だから犬を飼う女性との、ただあれだけの短いシーンがラストを飾る。「寒さそのものになってしまえば寒さを感じることもない」という糸乃。関係性の凍結そのものになるということ、すべてから断絶するということ、そうすれば関係性の凍結に心穿たれるようなことは無いだろうから。でも本当はケイコという名前に惠子あるいは慧子を書き込んでいる程度のことでしかないのだから。だから冬待ちは終わる。冬待ちをする必要は無い。《春がほどけていく気配》を、本当にボヘミアンになった或いはなってしまった？　糸乃はもう、冬の荒地を歩く必要は無い。そして私達は皆三人目を持っている。《彼女（おそらく慧子）は人間だった。そして私たちは二人だった。誰かがいるような気がしながらも。誰か。それが三人目というやつなのだろうか。そこに映る像のように、ちょうど彼女を鏡にして。》たぶんその三人目は既に失われた惠子であって、もっと遠い色んな誰か。私達は誰かと接するときに、たとえ偽りの《図書館のような》関係性の彼方に居た人であろうと、その人の記憶を投影しながら視ているのかもしれない。つまり私達の《関係性》は永遠に壊れない。関係性はゆっくりと鉱物になっていく。或いは氷に。だから糸乃は悲観しなくていいんだ。関係性が壊れることに恐れて、でも関係性が皆無であることにも居られないからといって《図書館》の「夜の闇」に眠る必要は無い。私達は荒れ野に生きている。つまりは、心臓達が血を通わせる荒野に。だから冬待ちじゃなくて、もう春待ち。&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>Raise</dc:creator>
<dc:date>2008-09-28T22:10:38+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://hoshikuro.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/stinggust_b9f1.html">
<title>【カテドラリア】ここ最近はまっているゲームが日本一とstingとGUSTに限定されている</title>
<link>http://hoshikuro.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/stinggust_b9f1.html</link>
<description>　いや……うん……タイトルは気にしちゃ駄目なんじゃないかな……。 　ネット（執筆...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　いや……うん……&lt;strong&gt;タイトルは気にしちゃ駄目なんじゃないかな……&lt;/strong&gt;。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ネット（執筆）に費やす能力を現実に持ってきたら良くねって友達にマジレスされて死にそうなRaiseです。こんばんは。現実での能力をネットに持ってきてるだけでそんなにのめり込んでいるわけではありません。でもイベントとか立て込み過ぎててちょっと死にそう。ハードワークばんざーい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　高校生になってからオーラルコミュニケーションの時間が加わったわけで、エッセイとかゆるゆる書いてました。今読み返したら何かにーちぇとかいう単語があったけど気にしない。学校の宗教行事の話がいつのまにか宗教全体に拡大した話になってたり好きなテレビ番組の話がどうして日本人の批判になったんだか、自分でもよく解りません。トランストラップに引っ掛かってます、もう。無意味なことに情熱を燃やすのが大好きです。ていうか意味のないものなんてないんだったら、無意味じゃないものなんてそれこそない。とまあ、&lt;strong&gt;中二ロジックで無様に開き直ります&lt;/strong&gt;。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　それと情報の時間でプレゼンテーションやったんですよ、プレゼン。しかも馬鹿げたことに自分から立候補したんですね、だってせっかく作ったのそのまま放置しておくなんて勿体ないじゃないですか。でも思えばこういうのって&lt;strong&gt;毎回周囲とテンションというか周波数がずれてるというか、空回りしてるんですね&lt;/strong&gt;。今回も例に漏れません、ええ。スピーチも考えずに、しかもプレゼンのスライド一枚目に貼ったのが「Serial Experiments Lain」のDVDケースでちょっと意地悪すれば&lt;strong&gt;美少女アニメに見えてしまうような有り様&lt;/strong&gt;で、二枚目になれば「&lt;strong&gt;アダルトゲーム&lt;/strong&gt;」という単語が飛び出して……みたいな。テーマはサブカルについて割と真面目に話したんですけれどいかんせん私の話の運びが悪かったです。緊張し過ぎてもう何喋ったのかも覚えていません。そろそろクラスで4メートルぐらい浮いてきました。泣きそうです。&lt;br /&gt;　ヘッセの小説とかなら自分はたぶん自殺するタイプ。情熱的ではないが。大江健三郎の初期作品だったら青臭いこと吐いて周囲から冷たい目で見られた揚句とんでもない失敗をやらかしそう。そんなことする勇気もありそうには無いけれど。開高健のだったらまだ馬鹿にされるぐらいで済むか。いやそれでも銃殺ぐらいはされそうだ。幸田文だと結構真剣に軽蔑される。&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;　自分で書いていてネタを挟む余地が無さ過ぎて泣きそうです。それはもう、子安ボイスの魔王がプチヤンデレちっくな密告者さんに「結婚して」とかいきなり押し掛けられたあげく「結婚してくれなかったらあんたの家ぶっ壊してくもん」とか脅される某赤王国で、&lt;strong&gt;フリーダンジョン28階ぐらいで超ワイドファイアとかをたたき込まれて全滅&lt;/strong&gt;、みたいなぐらいに悲惨です。&lt;strong&gt;ソウルクレイドルの部屋鍛えで六十階層ぐらいまで進んだ揚句フリーズ&lt;/strong&gt;したときとかふて寝しました。後某赤王国っていうか要はファントム・キングダムで凡用キャラクターに付けた名前が気がつけばカリオペとかハルモニアとかで「ああ、自分ののーみそってまだまだ&lt;strong&gt;春真っ最中なのねー&lt;/strong&gt;」とようやく再確認しました。遅かった。あまりに。&lt;br /&gt;　ソフマップの中古ゲームで&lt;strong&gt;ドラゴンシャドウスペルを買うべきかディスガイアを買うべきか悩んだ揚句に前述のファントム・キングダムを買ってしまう&lt;/strong&gt;ような第三選択肢（くめたこうじ信仰ですが何か）っぷりを近年発揮しまくっている自分に乾杯しながらさあ小説紹介から今日もてけとーなことを。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（1）「カテドラリア」（→&lt;a href=&quot;http://dqm.s198.xrea.com/patio-s-huri-/patio.cgi?mode=view2&amp;amp;f=1746&amp;amp;no=3&quot;&gt;こっち&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;　RPG的小説観とでもいうのかなあ。最近私はそういう話しか書いていない。形式張ったやり口でこざかしい、つまらないものを神様の落とし物みたいに律義に拾いこむ、そんな主人公しか書いていない気がする。「カテドラリア」はそういう限界性を突破し切れてないんじゃないかな、とかね。書き手がインドアだからかは解らないけれど、相変わらず行動範囲は狭い。聖なる丘と銘打ったただの平地から、主人公は可能性を摘み取っていく。今サルトルをちょこちょこと読んでいて、それであの可能性切り取り型というか、そういう舞台が思いついたのだけれど。多重構造というか、私達が生きている世界とかいうのは、ああいう具合にチープでもいいと思うのだけれど、いかんせん私の未練というか、そういうものが残っていてしまっていて、バイキングでありったけ取ってしまった皿みたいな様相にはなっている。個人的には好きな部類なんだけれども。絶食芸人云々の項はカフカの「絶食芸人」を思い出しながら書いた。カフカは「家長の心配」が好きだ。物語は私にとっては指向性というか、現実に着地させてしまうようなもので、何だか怖いものがある。それでも踏み出さなければいけないのだろうけれど。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（2）「わたしがトト・トイレで旅をする」（→&lt;a href=&quot;http://dqm.s198.xrea.com/patio-s-huri-/patio.cgi?mode=view2&amp;amp;f=1652&amp;amp;no=4&quot;&gt;こっち&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;　私にとって小説を書くことはそんなに偉いことでもなくて、そういう意志を表明したくて「わたしがトト・トイレで旅をする」を書いた。これもRPG的というか、まあしっちゃかめっちゃかに舞台を投げまくって進めていった。序盤が陳腐で痛々しいのは仕様で、とにかく「薄っぺらい感じ」を出したかった。しかしそれが後半で本当にモノホンになれてる、というと疑問かなあ。最近の自分のもやもやをそのまま練り込んで、自己嫌悪に陥って、とりあえず自分を安っぽいやり口で叩いたりして、けれどまあ、何というか、あまり悩まなくなった。いい加減扉を開いてどこかに行かなければならない。そしてまあ、また私はドア越しでこういう具合に躊躇ってしまっているのだけれど。でも、これは私にとってはひとつの分岐点、のような小説だと思う。小説を書く、ってのはご飯をたべるとか、トイレをするとか、そういうことと変わらない気がする。わざわざそういうことを表明するあたりに自らの浅さを感じはするけれど、これは確かに分岐点なのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（3）「そして天上電車に見捨てられ」（→&lt;a href=&quot;http://www.biofan.net/patio-konte2/patio.cgi?mode=view2&amp;amp;f=1045&amp;amp;no=8&quot;&gt;こっち&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;　ぶっ飛んだのが「そして天上電車に見捨てられ」かな。とりあえず、パロディというか、神聖なような何かを思いっきりけなしたくなったので、死をけなしてみた。ライトノベル的というか、記号的な外套をキャラクターにかぶせて、それを全部一色のなにかに変形させてみる。主人公はせっかく生き残ったもののその一色に覆いかぶされている。主人公をそこで負かすわけには行かなかったので、とりあえず開き直らせた。子供を育てるって大変、だからのオイディプスでもあるし、いずれ乗り越えられるべき父性という存在に収まってしまったからこそのオイディプスでもあるし、何より自分の子ではない、何者かの子、血族ではない誰か、そういった他人をも子供と育てられてしまえそうな今日この頃へのパロディ、ということで。これも気に入ってる。こういう文体はすぐに飽きられてしまいそうだろうけれど。主人公が饒舌過ぎて、いろんな人の甘言にほだされて、そんでもって妻のことは投げ出して、子供は他人でもよくて、だが主人公はそれでも生きていく、迎え撃っていく。そういう無責任で汚らしくて怠惰で駄目な野郎も書きたかったのです。それと書き終えて一週間ぐらいしてから気付いたけれど、これは久米田先生の影響、たぶん。かってに改蔵から好きです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（4）「片割れ船わるつ」（→&lt;a href=&quot;http://dqm.s198.xrea.com/patio-s-huri-/patio.cgi?mode=view2&amp;amp;f=1760&amp;amp;no=2&quot;&gt;こっち&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;　夢の話を書きたかった、ということ。日記、とか、あるいは小説、おそらくは後者の方がより結びつけやすいだろうけれど、今、そういうものは誰かに向かって開かれるわけであって（それはもう、小説ストーリーテラーというサイトや、無数のブログが示してくれる通り）、でも読み手は要らない。誰でも無い誰かに支配されていたい、みたいな、何だろう、そういうものを感じる。でもだからといって、あの海は未だ浅い電脳の海、とかいうつもりは無い。ウェブはあんなにも献身的で、長ったらしく、口うるさい収集人を持ち合わせてはいない。だからあれは夢。でも私は小説や日記のようなものをああいう具合にすくってくれる存在が居てくれてもいい気がする。あくまで想像でしかないから、あんな具合に孤島しか舞台に選べなかったのだけれど、言い表し難いけれど、私達は反射している。日記は事実に、小説は虚構に、反射している。いつのまにか書き手の手を飛び離れて、魚のようにして、ぐるぐると見知らぬ海を泳いでいても、そんなに不思議ではない。片割れ舟わるつ、と置いたのは、いつのまにか私達の手を離れていってしまっていて、価値のような何かも失ってしまっているのに、何故か独立してくるくると泳ぎ回っているあたりから。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（5）「ざくろの門のカルフィエ」（→&lt;a href=&quot;http://dqm.s198.xrea.com/patio-s-kontesuto/patio.cgi?mode=view2&amp;amp;f=1991&amp;amp;no=8&quot;&gt;こっち&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;　「ざくろの門のカルフィエ」は音楽のような何かを書きたかった。音楽的、終わらない音楽的なものを書きたかった。カルフィエは神様、のような何かでも、運命のような何かでも、どうでもいい。そこにあるのはラッパとヘタクソな奏者だけなので、彼が誰なのかはどうでもいい。カルフィエのラッパのように、中身もテンポがめちゃくちゃで、全く馬鹿げた内容になっているけれども、好きだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（6）「リトル・グレイシャス・カモミール・ワルツ」（→&lt;a href=&quot;http://dqm.s198.xrea.com/patio-s-kontesuto/patio.cgi?mode=view2&amp;amp;f=1991&amp;amp;no=9&quot;&gt;こっち&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;　雑記的なもの。現実だってものすごく物語的というか、扇情的というか、そういうことを確認した。あるいは私がそう装飾しただけなのかもしれない。陳腐な装飾ではある。ナルシシズムに満ち溢れている。でもまったくもってそういう他愛の無い話を奇妙なぐらいに誇張して、とにかく、こんな下らない話を、最前線に置いてやりたかったのだ。雑記、雑記だからこそ、たぶん私は書かなきゃいけないのだと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　音楽に関しては霜月はるか聞き出して「あしあとリズム」「ユラグソラ」「箱庭ノート」「Orbital Number」「ティンダーリアの種」。個人的には「恋獄」「硝子の月」「蝶」あたりが好きかな。「あしあとリズム」「遠い伝承歌」、それから「セカイハカガヤク」とか。アルトネリコ系列で来ると「月奏」「Exec.Re-nation」「Exec.Viena」あたり。OSの都合で出来ませんけれども、Innocent Grayのゲームがやりたいです。年齢の都合でも出来ないし買う勇気も無いけどね。「音のコンパス」が大いに楽しみ。&lt;br /&gt;　JAM PROJECTを一ヶ月だけ聴いた。熱しやすく冷めやすいというか、恥ずかしくなってくるというか、余裕が無くなる音楽だというか、疲れる。「Rising Force」「紅の牙」「迷宮のプリズナー」あたりが好きだった。&lt;br /&gt;　霜月はるか繋がりでBarbarian on the grooveにも手を出す。志方さんから入ったけれども、同人音楽は良い。とりあえず「Arco-Iris」と「Diorama-Shade」から。前者だと「エテルノ・ソルダン」「グレイ・ヘヴンズ」がぶっちぎりの良さ。インストの「Cloudiness」のミステリアスさも好きかな。後者だと「楽園」が一番。あのアンニュイな滑走感はたまらない。&lt;br /&gt;　eufoniusは「メトロクローム」ゲット。予想通り「Sign」「シラタマ」がかなり良さげ。前者は「ナルキッソス」の模倣になりかけるかと思ったけれども、有機的なサウンドでがりがり、執拗に引っかいていくのは新しい、心地よい。「Indelible Name」にもその気は見られるけれどこれは劇音楽だからか退屈な意味で落ち着きが無い。その点「Sign」はよく出来ている。「シラタマ」はeufoniusにしか出来ない童謡のような楽曲。「Angel On tree」の系列だけれどもサウンド構成がかなり新しくて耳に心地よい。素晴らしい。「ラクガキ」のリミックスはやや盛り込み過ぎ。ストイックさ、のようなものが好きだったから、ちょっと。「ちいさなうた」は変化箇所が解らないけれどやっぱり良い。「夕空ワルツ」は「ぐるぐる」の系列を思わせるゆったりさ、心地よい。「Flare」「Plage」はコーラスだけで責めるそれこそしもつきんや志方さんのような楽曲だけれどこの声でやられると意外と気持ち良くてびっくりだった。「メトロクローム」はサビに「ラクガキ」に似たストイックな格好良さを感じる。「Angel on tree」と同様の落とし込み方には少々落胆させられたけれども。全体的に良曲揃い。&lt;br /&gt;　ASIAN KUNG-FU GENERATION「未だ見ぬ明日に」を。「ワールドワールドワールド」以前の楽曲に回帰したというか、音の厚いアジカンに戻った。「脈打つ生命」は完全に回帰。「サイエンスフィクション」は「ワールドワールドワールド」のボップさに音の厚さをきっちり付加してる感じ、好感。「ムスタング」は「君の街まで」の甘さを渇かせて引き締める。「深呼吸」は流石のトーン暗めの曲。「サイレン」や「バタフライ」のような楽曲が好きだった自分にはちょっと物足りないけど心地よい諦観のようなものを感じる。「融雪」は音の引っかき具合が心地よい、「桜草」を豪華にしたようで、単調なのに飽きないし、縦横無尽に行進してくれる、好き。「未だ見ぬ明日に」はイントロが素晴らしいけれども、模倣の感あり。嫌いではないけれども。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　読書に関してはカフカの作品集ゲット。「絶食芸人」「家長の心配」あたり掌編小説を読んだけれどとても素晴らしかった。次は「流刑地」かな。これも面白い。川端康成「骨拾い」でようやく川端に対する反感が治まった。凄くいい、これ。「処女作の祟り」とかが面白かった。題名は忘れたけれども時雨の駅の人妻云々の話が手短にまとまっている。図書館の「実存と虚無」なんていう本にようやく手を出した。サルトルとハイデガーの抜粋を読んでいる最中、キルケゴールとかニーチェみたいに楽じゃない、でもとても興奮するというか、自分の無知を再確認させてくれるというか、ともかく、面白いのだ。特にサルトルに関しては外のも読みたい。「否定の起源」が物凄く面白かった。これに載ってるカフカの「日記抄」とカミュの不条理云々の奴も早く読みたい。カフカとカミュは未だに好きだ。&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>Raise</dc:creator>
<dc:date>2008-06-19T22:14:58+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://hoshikuro.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_83f5.html">
<title>【月泳ぐ・ピアニシモの日々で】終わる</title>
<link>http://hoshikuro.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_83f5.html</link>
<description>時間が無いのです。今から高校に入学するんです。 ということは今はまだ中学生なので...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;時間が無いのです。今から高校に入学するんです。&lt;br /&gt;ということは今はまだ中学生なので、今のうちに紹介しておきたいのを置いておきます。節目だしね。きっちり最後に片づけたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;●「月泳ぐ・ピアニシモの日々で」（→&lt;a href=&quot;http://dqm.s198.xrea.com/patio-s-kontesuto/patio.cgi?mode=view&amp;amp;no=1795&quot;&gt;こっち&lt;/a&gt;）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;何かがひとつ終わる、というのはとても偉大なことだと思います。そういう終わりを受入れる話を書きたかった。やさしく終わっていける話、とか。&lt;br /&gt;枚数は掲示板ごと貼ったら170枚だったんで、まあ150〜160枚ぐらいだと思います。高校生になるまでに何とか終わらせれた。ひとつの記念碑としてここに置いておきたいなあ、なんて思ったり。初めてのちょっと長い奴。嬉しい。&lt;br /&gt;そんな訳で、高校生になってきます。&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>Raise</dc:creator>
<dc:date>2008-04-01T07:04:45+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://hoshikuro.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_9bda.html">
<title>【豆腐カプリッチオ】信楽時計は卵焼き男爵の夢を見るか</title>
<link>http://hoshikuro.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_9bda.html</link>
<description>「 　鮭『卵焼き作ったのって卵焼き男爵なんじゃね？』 　全世界にこの発言を発信す...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;&lt;em&gt;&lt;strong&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 1.4em;&quot;&gt;「&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;/em&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　鮭『卵焼き作ったのって&lt;strong&gt;卵焼き男爵なんじゃね？&lt;/strong&gt;』&lt;br /&gt;　全世界にこの発言を発信するための今回の投稿です。これを本末転倒と言われる方も多くあられるかもしれませんが、それは神子を片方しか揃えなかったダサカコイ村長とウズマーキ村長（CV.眼鏡の某大佐）と同レベルの間違いだと思ってください。今の内容を要約すると&lt;strong&gt;『クローシェ様かわいいよクローシェ様&lt;/strong&gt;』なので、読み飛ばして下さっても何ら問題はありません。後近年アニメをまるで見ません。&lt;br /&gt;　後某銀髪の盗賊王さんと某クラス内ODAの難民さんと黒ーしぇ様の声が同じなんて、そんなことは決してありません。同じなのは眼鏡のガンダムマイスターさんと絶望先生ぐらいなものです。美しければそれでいい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ちなみにこのブログそのものは言わば番外編なのです。&lt;strong&gt;中学二年生ぐらいの子が何か書き出すと「外伝」とか名を付けて訳解らん学園ストーリーを展開したり&lt;/strong&gt;、「外伝」と名の付いてるシナリオは本筋には全く関係無いただの武器収集シナリオだったり（しかもそれが最初は荷物&amp;amp;回収しないと真エンドに辿り着かない）&lt;strong&gt;無意味にフルボイスのエテリア収集シナリオ&lt;/strong&gt;だったり、番外編にはとかくロクなことがありません。何の番外編っていうと本筋そのものが無いようなネットの執筆活動。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　あえて喩えるとこのブログは焼肉ソーダ程にも値しない情報のふきだまりということです。しかし、時のふきだまりでは「あ、これ忘れてた」という製作者の呟きと共に&lt;strong&gt;空気キャラが精算されていきました&lt;/strong&gt;。それを考えると、ふきだまりはおいしいところなのです。「キーリ」の砂の海の果ての描写は逸品でした。&lt;strong&gt;School daysのふきだまりはSummer daysでした。&lt;/strong&gt;ラブコメ気取りのふきだまりは&lt;strong&gt;炭素生命体と戦う燃え鬱ゲーでした&lt;/strong&gt;。サブカルチャーの発展を支えるのはふきだまり、つまりは副産物です。ちなみにここまでの内容を要約すると&lt;strong&gt;『ルカ＝メンヘラバイオリン娘&lt;/strong&gt;』なので、スルーして頂けば幸いです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;相変わらず前座の長いフルコース風の当ブログですが、中身は大したことありません。最下層の宝箱は1ルピー。SO3とTOD2の戦闘システムの良さは&lt;strong&gt;シナリオに落胆する為の前座&lt;/strong&gt;。&lt;strong&gt;まほろまてぃっくはこの美しくも醜き世界の壮大なる前座&lt;/strong&gt;であり、更に言えば&lt;strong&gt;アニメ本編が高橋洋子の為の前座&lt;/strong&gt;であったわけです。力を操るのどーたらこーたらの女騎士も当然ツンデレかなんかに落とし込まれてしまう前座（女騎士って時点でツンデレフラグ立ち過ぎジャマイカ……）です。副産物がサブカルを支えるならば無意味な前座がそれを陥れる。しかしオボンヌの（&lt;strong&gt;ヒロインの声優を際立たせる&lt;/strong&gt;）前座っぷりは偉大でした。親切にここまでの内容を要約すると、『&lt;strong&gt;ヒロインがどうのこうのでソル・シエールの終わりで喧嘩しつづける俺の嫁厨ってきもいよね&lt;/strong&gt;』ってことで、オリカはもう嫁でいい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;以上ここまで引っ張った意味は全くありません。一応ここまでの話を全要約すると『&lt;strong&gt;OVAどうなってんの？&lt;/strong&gt;』であり、『&lt;strong&gt;バロックオンライン化&lt;/strong&gt;まだなの？　ねえねえ、まだなの？ｗ（AA(ry』なわけです。バロック欲しい。後最近やったSFCのトレジャーハンターGがSTING製作でつい笑ってしまったという話でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;del&gt;&lt;strong&gt;（※真の意図が単なる字数稼ぎという無粋な突っ込みは受け付けません）&lt;/strong&gt;&lt;/del&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　小説紹介。全世界に恥発信と読めばいいよ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（1）「豆腐カプリッチオ」（→&lt;a href=&quot;http://dqm.s198.xrea.com/patio-s-huri-/patio.cgi?mode=view2&amp;amp;f=1435&amp;amp;no=07&quot;&gt;こっち&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;　三語「豆腐・ぐるぐる・ヒーロー」に寄せさせて頂いた作品です。投稿分の最後が《終幕》とか、名前が凄く痛々しかったりとか、そんなことはどうでもよいのです。しいて言えば&lt;strong&gt;「抱きしめ」と「きしめん」程度&lt;/strong&gt;の違いです。&lt;br /&gt;　豆腐です。豆腐上手いです。そんなことは単に脆弱さを表わすファクターでしかないんだけど、近年のRaiseは一人称が怖いわけです。私達は何かを見る時一人称越しでしか見れない、ということ。とても当たり前のことなのだけれどとても怖い。神様云々に関しての話もそうのだけれど、キルケゴール曰く、神様は異質なものであって、彼定義するところ異質なものとは絶対不可侵の領域のようです。じゃあ神様って何ですか、って聞かれたとき「神様」で答えちゃ駄目なんだろうか、と思うのです。とっても愚かしいこと。でもそんなことを練り込んでみたり。私達のキャラクターは一人称ですか？　僕にはよく解りません。でも一人称を越えれたらそれはそれで面白いかも知れない。三人称は結局作者の一人称と大差無いんですけれどね。あれも自我の抹消と考えるべきなのかな。それを考えるとヘミングウェイの「老人と海」はおっとろしく偉大だった訳でしょう。自我を滅するその精神力は凄い通り越して恐ろしい。ヘミングウェイ殆ど読んだこと無いんですけどね。&lt;br /&gt;　そんな脆弱なものたちがカプリッチオ、ってのが、私達だったら、寂しい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（2）「アンノゾ祝祭譚」（→&lt;a href=&quot;http://www.biofan.net/patio-konte/patio.cgi?mode=view2&amp;amp;f=1018&amp;amp;no=05&quot;&gt;こっち&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;　小説ストーリーテラー短編コンテスト最終回提出作品。&lt;br /&gt;　たとえば「世界」というものを僕が言ってそれがどうして滑稽かと言うと、そんなものは「世界」ではなくて、正しく言えば「僕が見ているもの」でしか無い。そんなことを考えているうちに、「世界」を表現する、ということがどういうことなのか、段々解らなくなってきた。だから情報量を積め込んでみたい訳なのだけれど、たぶん短編に相応しいことじゃない。それこそこれは敵意有る「世界」という一塊でしかなくて、カオスではない。価値観は統一されていたし、殆ど考えていることは一緒。ということでこの試みは完全なる失敗だったと言えます。それこそ長編でやった方がいいのかもしれない。&lt;br /&gt;　クロニクル文学、というのかな、たとえばガルシア＝マルケス「百年の孤独」桜庭一樹「赤朽葉家の伝説」、他には大江健三郎「同時代ゲーム」みたいなもの。そういうのに近年は憧れるわけです。でも「世界」を貯蓄しようとしていったとき、そこには「停滞」（日常化、のようなもの）の毒がある。だから彼らは時代を動かした。そうすることでしか毒を払えなかったのかもしれない。そういうの乗り越えるのも楽しいかも知れない。出来るだけ下らないものを列挙して、出来るだけつまらない日常を「世界」と呼べるまでに作り上げてみたい。もちろんそんなことは「この世界で一番大きな数は何ですか？」と言う問いかけぐらい愚かしいことなのだろうけれど、でも、一回ぐらいはやってみたいのです。月ピニが終わればやりたいところです。&lt;br /&gt;　ちなみに最終回ということで第二回の「巡礼祭の聖行列」に引っかけて祝祭やってみた訳なんですけど、どうも乗り越えられなかった気がする。我ながら残念な作品だったなあ、とか考えたり。でもこの試みだけは続けてみたいところです。或いは小説というのは皆そういうものなのかもしれないですね。四次元でしか表わせない「世界」というもの、架空のカオティック・レコードとして。そこには筋書きはあるかもしれないけれど、それを消すのが力量というものなのかもしれない。勿論自然さは不自然とも何処かで繋がっているけれど。バランス、なのかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　音楽音楽。&lt;br /&gt;　アルトネリコ1・2の志方さんの音楽回収。ミシャ様（様と付けるのは多分病理）の「EXEC_CHRONICLE_KEY/.」「星詠」とクローシェ様（様と付けるのはｒｙ）「METHOD_IMPLANTA/.」「澪」の四曲あたりが心地よかったかな。「澪」の力強いコーラスは絶品としか言い様が無い。「星詠」の美しさも良いけれど、あれはたぶん「謳う丘」とセットで味わうべき作品なんだろうなあとか考えたり。途中で入る「謳う丘」のメロディだけって訳じゃないんですけどね。「EXEC_CHRONICLE_KEY/.」はストリングス・コーラス共に繊細ながらに力強く美しい。これも志方さんの曲として記憶していく曲でしょう。&lt;br /&gt;　それからしもつきん（霜月はるかさん）もアルトネに釣られて回収です。「白夜幻想譚」は土屋的民族音楽＆メリハリ付いたメロディが美しい（「謳う丘」のルーツなんでしょう、おそらくは）。「硝子の月」「EXEC_LINCA/.」は優しさ漂いながら、どこかが壊れてしまっていて、それを受け止めてしまう、そんな華奢な何か。「月奏」はただただ神秘を謳うのみの曲なのだけれど耳には心地よい。オリカバージョンの「EXEC_PAJA/.#Orica extracting.」は戦闘BGMとしての枠を越えた飛翔ある、どこか一本骨のある音楽。「蝶」「ココニアルモノ」はダークなギターがホントに気持ちいい、前者の希望への寂寞は後者にも通る。それから「カザハネ」のメロディの飛躍も聞き逃せない。「護森人」はコーラスがいきなり印象的だけれど、力強い破壊サウンドにぐっと持っていかれる、生命流転、といった感じ。相も変わらず煩雑ですがこんな感じです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　読書に関しては薄く、キルケゴールの作品集をちまちまと。その間に泉鏡花「高野聖・歌行灯」（何この人めちゃくちゃ可愛いんですけど）と村上春樹「風の歌を聴け」を読んでる最中。それから桜庭一樹「赤朽葉家の伝説」ちまちまちま。&lt;br /&gt;　ゲームに関してはアルトネリコ1クリア（ミシャエンド&lt;del&gt;&lt;strong&gt;、うさぎ好きの寝取りヒロインなぞ認めません&lt;/strong&gt;&lt;/del&gt;）&lt;del&gt;&lt;strong&gt;、幻想水滸伝4積み、&lt;/strong&gt;&lt;/del&gt;アルトネリコ2クリア。&lt;br /&gt;　そんなものですね。バトンも無いので今回はあっさり終わります。&lt;/p&gt;　&lt;p&gt;&lt;strong&gt;※一番最初のかぎかっこは何にも繋がりません。&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>Raise</dc:creator>
<dc:date>2008-03-17T23:06:13+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://hoshikuro.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_febb.html">
<title>【けもの謳う】腕の痛いオボンヌ</title>
<link>http://hoshikuro.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_febb.html</link>
<description>　で、要するに、僕も腕が痛かったので、ブログを更新出来なかったのです。どうも近年...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　で、要するに、僕も&lt;strong&gt;腕が痛かった&lt;/strong&gt;ので、ブログを更新出来なかったのです。どうも近年は&lt;strong&gt;「腕が痛い」で船長の努めを放棄する&lt;/strong&gt;のが許されているらしいので、僕もその時流に乗取って都合の悪いことは全部「腕が痛かった」でごまかそうと思います。&lt;del&gt;&lt;strong&gt;早速某サイトでのイベントのgdgdっぷりとか実は某裏チャは自分の自演から始まったんだよ&lt;/strong&gt;&lt;strong&gt;とか&lt;/strong&gt;&lt;/del&gt;色々都合の悪いことを今からごまかそうと思います。たぶん主人公の声がひどいことになってるのも腕が痛かったからなんでしょう。それなのに皆から非難されるオボンヌの中の人がかわいそうで仕方ありません。&lt;br /&gt;　以上の話は要約すると「アルトネリコが面白過ぎる」という意味なので、適当に読み飛ばしてやってください。たとえ某サイトの短コンで&lt;strong&gt;偶然「星蝕」なんて単語が出てこようとも&lt;/strong&gt;、それは変わりません。ええ。変わりませんとも。&lt;br /&gt;　でもライナーの声に途中から馴れてきたんだけど、末期なのか。そこまで悪いとは思わないんですけどね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　てなわけでこんにちわ。&lt;br /&gt;　小説紹介。スランプに陥って鬱になって死んでました。自分ごときがスランプを語るにはまだまだ早いような気がします。冬は何かとしんどい。うー。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（1）「マタニティア」（→&lt;a href=&quot;http://dqm.s198.xrea.com/patio-s-kontesuto/patio.cgi?mode=view&amp;amp;no=1883&quot;&gt;こっち&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;　津島祐子「青空」読んだ後に志方あきこ「ロマの娘」聞いてて書いてるうちにあんなのになりました。んー。あまり好きではありません。正直に言うと嫌いかな。「乳と卵」に影響受けてるわけではないんですが、ちょっとあれは無神経過ぎた話だったと思うのです。少なくとも僕は男だから出産の痛みを理解出来ないし、マタニティ・ブルーなんて取り扱うには全然筆力が足りない。だから逃げた、って感じかなあ。どうであれあまり好きな話ではないです。ただスランプから抜け出したくてとりあえず何か書かなきゃなーとか思って書いた話。ちなみに今までで一番嫌いなのは「えもちにあ・もちおにあ」です、これはホントで。とりあえずこの路線ばかり歩くのに飽きたのかもしれない。飽き性だから、もっと別のが書きたいのかもしれません。マタニティアという語の語感自体は好きなので（テイルズ厨なのです←結論）またリライトするやもしれません。でもやっぱりこれはひどかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（2）「うたかたに継がれた」（→&lt;a href=&quot;http://dqm.s198.xrea.com/patio-s-kontesuto/patio.cgi?mode=view&amp;amp;no=1889&quot;&gt;こっち&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;　坂本真綾「スクラップ 別れの歌」を聞きながらです。&lt;del&gt;&lt;strong&gt;別にあれですよ、「ジャンク」とか言うとやたらと反応するドールの影響を受けたわけではありません。&lt;/strong&gt;&lt;/del&gt;とりあえず、何かとても悲しい話を書きたかった。タイトルは、うん。何ですかね。あれです、「うたかた」だからです。僕はあんまり悪くない。&lt;br /&gt;　そういや昔から記憶に関しては興味があるのです。何だろう、ひとりの人間を人間たらしめてるのは結局人間性とかじゃなくて、記憶でしかないんじゃないかな、っていうところ。岸田秀の唯幻論にちょっぴり惹かれたわけなんですけどね。うたかたに継がれた、というのは、シャルルと雪人形の間だけじゃなくて、おばあちゃんとシャルルの間でも充分成立っていることです。夫や息子の遺品をシャルルに着せる、というのは、そこにある物語とか記憶を刻み込む、一種の儀式的な行為なんじゃないかなあ、とか。雪人形の彼もたぶんまた人形を作っては自らの物語を継がせていくのでしょう。それが浅ましいとかそういうことじゃなくて、純粋にそういうことを書いてみたかったので、書きました。自分では好きです。&lt;br /&gt;　他にも色々あると思います。本来のアイデンティティとは異なるアイデンティティを与えられた苦しみとか、そういうのも書いてみたかった。人間がそもそも己のアイデンティティを持ち合わせられるかどうかは解らないけれど。&lt;br /&gt;　結局シャルルは街全てをおばあちゃんの弔いに使うのです。おばあちゃんはシャルルを愛していたのではなく、そこに刻みつけた記憶を愛していたのでしょう。シャルルはおばあちゃんをどこかで憎悪している。或いはそういう人を。おばあちゃんの死は廃虚の街に置き換えられる。そんな感じかな。&lt;br /&gt;　個人的には結構好きでした。まだまだかなり粗いですし、気が向いたら修正するべきかもしれません。まだまだ浅い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（3）「けもの謳う」（→&lt;a href=&quot;http://www.biofan.net/patio-konte/patio.cgi?mode=view2&amp;amp;f=989&amp;amp;no&quot;&gt;こっち&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;　謳う、と来たらもうどうしようもありません。志方あきこさんの「謳う丘」の三つのバージョンを聞きながら、まったりまったりと。何だろう。神話的とか母性的とかそういうのを書いてみたかった。或いは失ったことで満たされる何か、とか。&lt;br /&gt;　もちろん朝喰い＝クアであるのですけれど、どうしてそうなったのか、ということは書こうとは思いませんでした。たぶん短編コンテではそこら辺怒られるだろうなあ、とか思ったり。大いなる淀みとか、色々書き込んでいないところがある。これも要修正だと考えてます。楽しかったんですけどねー。或いはあの短さで終わらしてみたいかもしれない。&lt;br /&gt;　求め合うことの残酷さ、とか。両眼を縫われている女の子、っていうイメージはいかにも厨臭いけど、結構好きでした。この作品で書きたかったのは、執着心のようなものだったと思うのです。執着心ではない。母は「僕」の眼が見えなくなるのを嘆いているけど、どうしてそれを嘆かねばならないのか、とか。朝喰いを殺すこと（つまりは自殺）に執着してみたり。クアも執着心のようなものの塊だったりするんです。丘から出ず、贄の娘としての役目を果たし続ける。死者の願いを盲目的に聞く。おそらく「僕」を朝喰い殺し（自殺）に走らせたのは母の死ではなく、母性ほへの執着があると思うのです。クアは母性を失いながら、どこか母性に似た優しさで死者達を癒しているけれど、それもやはり母性に対する執着がある、けれどそこには真なる母性というのはないのではないか、という。朝喰いは母性と執着心が混じり合ったものが生んだ獣、みたいなモチーフ。互いに母性に対しての執着を持ったふたりが、互いに喰いあうことで、満たされる。或いはどちらも苦しさから逃げ出したかったのかもしれない。愛をもって互いを解放する、みたいなもの。&lt;br /&gt;　我ながらかなりぐだくだな解題になってしまった。でも楽しかったです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　音楽の話。&lt;br /&gt;　まつもりくん（仮名）に勧められたeufoniusの「Σ」というアルバムがなかなか良い感じです。「fantajius」と「ナルキッソス」が良い感じかなあ。この透明で歪んだサウンドがなかなか気持ち良かったり。何だろう、このバンドの音楽は歪みを重ね合ったところの透明感が心地いい。村上竜の「限りなく透明に近いブルー」のガラスの破片の描写のところみたいな、あのノイジーな透明感。きもちいい、これ。&lt;br /&gt;　志方あきこさんの「廃虚と楽園」をようやく入手。「ロマの娘」は言うまでもないですが、「Se l&#39;aura spira」の引き締まった光の感覚も大好きです。「まほろば」とかだと光をばばーんっと広く優しく降らしちゃってるのに対して、「Se l&#39;aura spira」には引き締まった光量がある。そこに限りなく深い許しのようなものがあるように思う。何だろう、慈悲みたいなもの、賛美歌っぽいからかな、そんなこと考えたり。他に好きなのは「ラヂオ予報」かなあ、この伸びやかな高音部がとってもとっても心地よい（それでいて、すごく気まぐれな韻は、聞いてて楽しい）。志方あきこさんの歌はメロディーも凄いんですけど、韻が滅茶苦茶楽しいんですよね。「ロマの娘」とか音源に合わせて歌おうとしてもなかなか出来ない。韻が波のようにゆうらゆうらと揺れていて、それがとても楽しいのです、この音楽は。&lt;br /&gt;　それからFictionJunctionに手を出しました、全ては梶浦さんが悪いんです。今のところ気に入ってるのは「everlasting song」のオリジナルバージョンと「silly-go-round」「荒野流転」「暁の車」「angel gate」あたりかなあ。「nowhere」は正直あまり好きになれないのです。梶浦さんの歌詞は言葉の質量が好きです。&lt;br /&gt;　「everlasting song」は疾走感がたまらない。ここら辺牧野さんの「ウンディーネ」（あれも僕は疾走感のある曲だと思うんですが）と重なるんですが、このスピードといい、流れるような英語詩（韻がまたたまらない！）が本当にすごい曲です。ちなみに日本語バージョンは嫌いです、あの疾走感をちょっと押し殺してしまってるところがある。単なるスピードの違いかもしれないんですが、物凄く大きいんじゃないかな、と思ったのです。日本語詩が良いとか悪いとかじゃなくて、この曲の走り具合には英語詩の気まぐれっぽさの方が良い。何だろう、英語詩っていうのは、全体的にくーるくる、というか、何だか回転してるような感じなんですよね。たとえば坂本真綾さんの「afternoon repose」とかもそうなんじゃないかな、っていう感じ。でもホントにこのくーるくる感がたまらない曲です。&lt;br /&gt;　「silly-go-round」はピアノの緊迫感が好きです。それでももっともっと前に出てもらいたい。僕がこの曲を評価するのはピアノと、それからコーラスかな。このコーラスがとてもとてもいい感じ。歌詞の前向きっぷりもそれなりに好きです。&lt;br /&gt;　「荒野流転」はなるけみちこのギターかと思うぐらい、ワイルドアームズの音楽みたいなものを感じました。混沌とした歌詞を暗闇で象る手法が好き、それからサビ前のこの盛り上がりっぷりはたまらない。流転、何ですよね、ホントはこの曲。カオスなエッセンスなんですけど、ちゃんと安定させられてる手法もたまらない。歌詞で一番好きなのはこれがひとつ。二番が終わった後のちょっとしたギターがホント楽しい。そこから来る弦楽器がもうたまらない。後コーラスすげえコーラス。この力強さが本当にいい。&lt;br /&gt;　「暁の車」は「ヘッドフォンは静寂の向こう」で完成しきれなかったものを納め切ったなあ、という感じです。コーラスも相変わらず凄いけど、実はこれって「のろのろスピードなんだけど疾走中」みたいな曲だと思うんですよね。底の方では、すごく重々しいサウンドだったりするんだけど、それでも上の方はもがくようにして走り続けてる感じ。たぶんギターがおちゃめなせい。でもこの質量×速度は大好きです。&lt;br /&gt;「angel gate」ももっとピアノにでしゃばってほしいかな。Aメロは落着き過ぎててちょっと退屈。でもサビの重厚さは本当に素晴らしい。ただどうも、もっとピアノに目立って欲しかった。音の流れが単調に聞こえるからかなあ。それでも大好きです、この曲。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　読書の話。&lt;br /&gt;　小説は幸田文「黒き裾」・よしもとばなな「うたかた/サンクチュアリ」読了、レビューは例によって某所に。ケイ・ヘザリ「Kitchen table talk」と岸田秀「ものぐさ精神分析」を気まぐれに読んでみた。岸田秀かわいいよ岸田秀。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ということでここからがメインです、嫌がらせの塊です。こんなプレゼントをして下さった某信楽時計さんには&lt;strong&gt;焼き肉ソーダ&lt;/strong&gt;をプレゼントしてあげるべきですね、きっと。（余談ですが、トウコウスフィアに投稿してある写真を見るだけで焼き肉ソーダはこりごりだと思いました）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;+クサイよバトン+&lt;br /&gt;※以下のセリフに、それとなく反応してみましょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;01:「こっちへおいでよ、僕の子猫ちゃん♪」&lt;br /&gt;「その台詞アウアウです（アダルトゲーム的な意味で）」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;02:「俺のために、毎朝みそ汁を作ってくれ!!」&lt;br /&gt;「みそ汁つくれない」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;03:「君を直視できないよ。なぜって？君がまぶしすぎるからさ...」&lt;br /&gt;「せんせー、××君が黒板照って見えないらしいです」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;04:「地球上の単位では、君の美しさを表現できないね。」&lt;br /&gt;「貴様はこの世界中の単位を全て言えるのか」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;05:「結婚しないか？返事はハイかYESで答えてくれ。」&lt;br /&gt;「Highly do I refuse.」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;06:「君、空飛べるんだってね。だってほら、君は僕の天使だもの。」&lt;br /&gt;「1フライト720円な」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;08:「どんな花も、君ほど美しくはなれないさ...」&lt;br /&gt;「貴様は今まで見た花の数をｒｙ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;09:「この夜景と、君の瞳に乾杯。」&lt;br /&gt;「この歳で飲酒はマズイです」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;10:「おや、火傷したみたいだ。どこがって？もちろん心がさ...」&lt;br /&gt;「割と洒落にならないことになる前に、精神科に行くべきです」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;11:「たとえ世界が滅びようとも、僕らの愛は滅びない！」&lt;br /&gt;「世界を敵に回す恋は許容範囲じゃないよ（←プレイ動画だけ見た、Macだけど）」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;12:「泣くのなら、僕の腕の中にしなよ。」&lt;br /&gt;「布団が先客だからだめ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;13:「あの夕日に向かって、競争しようぜ！」&lt;br /&gt;「宇宙服買ってこい」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;14:「命にかえても、あなたを守ってみせる！」&lt;br /&gt;「ならIpod買ってください（←壊れた）」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;15:以上です。次に回す方をどうぞ。&lt;br /&gt;あえて、きーたん。ごめんね、スケープゴートに選んで←&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;『記憶の限界に挑戦！バトン』&lt;br /&gt;&amp;gt;1、思い出せ！今までに使ったPN全部&lt;br /&gt;えっとね、まず中一で使ったのがRaiseでしょ。それから中二になってからRaiseを使い出したのかな。それからはずっとRaiseだけど、匿名代わりにRaiseとか使ってたなあ。そうそう、中二で二次やってたときは確かRaiseって名前使ってた。こう考えてみると色んなHN使ってるんだ＾＾&lt;br /&gt;&lt;del&gt;&lt;strong&gt;（※心のきれいな人のみがこのバトンの解答を正しく見ることができます）&lt;/strong&gt;&lt;/del&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&amp;gt;2、思い出せ！今までにイラスト、漫画、小説をかいたジャンル全部&lt;br /&gt;■ユグドラ・ユニオン（ロザリィ×ロズウェルだけ。エレナ難しい……）&lt;br /&gt;■FFTA（CP無し、普通にファンタジーしてた）&lt;br /&gt;■カービィ（その……ももいろで、ふわふわなんです、はい……）&lt;br /&gt;■ポケモン（すごく痛いオリジナルストーリーを展開してたよ、しかもそれが今まで続く源流地なんだよう）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&amp;gt;3、思い出せ！今までに同人誌を買ったジャンル全部&lt;br /&gt;Macですけど。&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;ごまかしきれない。買ったことないですよ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&amp;gt;4、思い出の多そうな5人くらいに回そう&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;みつみ&lt;/strong&gt;と&lt;strong&gt;鮭&lt;/strong&gt;と&lt;strong&gt;信楽時計&lt;/strong&gt;と&lt;strong&gt;あれるや&lt;/strong&gt;と&lt;strong&gt;氷雨河さん&lt;/strong&gt;にお願いしようかな＾＾&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;あ、みんなIPは一緒なんだね&lt;/strong&gt;＾＾　どうしてなのかな＾＾＾＾＾＾&lt;br /&gt;（なぜこれが報復なのか、いやそんなことが有りえようか）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;◆腹黒バトン◆&lt;br /&gt;誰もが聞いて恐ろしくなるような&lt;br /&gt;強制バトンです&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;◆ルール◆&lt;br /&gt;『あ行』で腹黒いセリフを作ってください&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;あ　あさっての方向に。の原作っておもしろいよ&lt;br /&gt;い　インディグネイションって必中なんだぜ、やってみろよ&lt;br /&gt;う　ウサテイはシューティングゲームのCMソングなんだぜ&lt;br /&gt;え　ef？　ああ、熱血純情な青春アニメだよ。&lt;br /&gt;&lt;del&gt;&lt;strong&gt;お　お前、アニメの声優さんがエロゲーに出てるわけないだろ！&lt;/strong&gt;&lt;/del&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　寧ろ凄く気持ち悪いセリフになってしまったではないか。何たる策略。&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>Raise</dc:creator>
<dc:date>2008-02-10T22:48:34+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://hoshikuro.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_854e.html">
<title>【夜の燦】ユーディが倒せない</title>
<link>http://hoshikuro.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_854e.html</link>
<description>　例によってタイトルはユグドラです。 　トラウマです。BF03とBF16のユーデ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　例によってタイトルはユグドラです。&lt;br /&gt;　トラウマです。BF03とBF16のユーディは普通倒せない。&lt;br /&gt;　後ルビースタッフ、フランベルジェ、ミゼルの靴シリーズコンプリートも普通出来ない。少なくともスティール使えないうちは無理でしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;【小説】&lt;br /&gt;（1）「夜の燦」（→&lt;a href=&quot;http://www.biofan.net/patio-konte/patio.cgi?mode=view2&amp;amp;f=952&amp;amp;no=02&quot;&gt;こっち&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;　某サイトの短編コンテストに出した作品です。個人的には結構好きでした。何か結果はどういうものになるのかは大体見えていますが気にしない。&lt;br /&gt;　こっそり自己解題。&lt;br /&gt;　葉子も春枝も見事なまでに自尊心の塊です。春枝は家を出るための狂言だったとキリスト改宗のことを言いますが、実際に改宗をしている。葉子は春枝を憎んでいる（これはよくある話ですね）。葉子は結局工務店を引き継いだ（独身）。大体本文中だけからさらうとこんな感じだと思います。&lt;br /&gt;　葉子は中々に嫌な子（というか、そうならざるを得ない）だと読み返して思いました。十三年経ったのに、まだそのときの嘘を非難している。しかもそれは、口実としての嘘でしかないのに。「あたしは、お父さんと血の繋がってるあんたが、ずっと憎かった」と思いながらも、それを春枝のように言うことは出来ない。&lt;br /&gt;　だからといって、葉子だけが嫌な子って訳でもない。&lt;br /&gt;　春枝も、充分に嫌な子だと思います。「許してくれるか、怒らんといてくれるか」と言う割には、春枝の告白はどこか押しつけがましいし、結局はキリストに改宗している。口実を作らなければ家を出ていくことも出来なかった。浅ましいと自分を思いつつも、血が違うことでより強く贔屓されてしまうと思っている。葉子とは正反対のようであって、どこか確実に似たところがあります。&lt;br /&gt;　どうして最後に葉子が苦しむのか、ということです。&lt;br /&gt;　工務店を引き継いだのは、葉子が純粋に父親を愛していたところにあったからです。だからこそ父親もそれを受入れるべきか苦しんだわけだし。次女が居ないし、自分は長女だからという思いもあったでしょう。その純粋な感情、春枝に対してのコンプレックス抜きに工務店を引き継いだつもりだった。それなのに、春枝の告白を聞いているうちに、「まるで自分が責められているような気さえしていた」。春枝の告白はかなり葉子を攻め立てるものでした。血の繋がっていないという葉子のコンプレックスを根本から叩いている（「血が違うということで、本物の娘以上の関係」）ところがあります。葉子は工務店を引き継いだ理由を答えられない。それは純粋な感情のつもりだったのに、その気持ちを「血が違うということで、本物の娘以上の関係」を意識したんじゃないか、と疑っている。純粋な「決意」が策略めいたのに思われてくる。そして自責に至る、ということです。&lt;br /&gt;　葉子は春枝の攻撃的な告白に気がついていません。本編のバックグラウンドが読めないだろう点はそこにあると思います。三人称の旨みを生かせなかったなあ、というのがひとつ。それから、キリスト改宗の点を掘り込まなかったのがひとつ。テーマの「決意」を考えると春枝の告白は「決意」とはいえない点もひとつかな。大体気付けてるウィークポイントはそんなものです。某空さんがフルボッコしてくれるのを気長に待とうかなあと思ってます。怖いけど。&lt;br /&gt;　ちなみに聞いてたのはシューマンでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（2）「青と青のララバイ」（→&lt;a href=&quot;http://dqm.s198.xrea.com/patio-s-huri-/patio.cgi?mode=view2&amp;amp;f=1430&amp;amp;no=04&quot;&gt;こっち&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;　色々楽しかった。何も言う必要はありません。テンションがあまりにHighだったので書いているうちは気付きませんでしたが、読み返すと酷い電波だなあと思えてきました。でもまあ、楽しければそれでいい。聞いてた曲は「さよならソリティア」と「BLUE」どっちも名曲だなあと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;【雑記】&lt;br /&gt;　「パンプキン・シザーズ」を見終わりました。色々言いたいことはあるけど面白かったです。どうしてもまた連載中の作品であった以上、ああいう終わり方しか出来なかったんだろうなあ、とか。&lt;br /&gt;　舞踏会のところでソリスとエリスの株がぐっと上がったのと、後株がずっと上がりっぱなしだったのがオレルドかなあ。オレルドはどこまでも良い人でした。&lt;br /&gt;　全体的に設定が濃密で凄く面白かった。オーランド伍長のランタンみたいなチートがあるのは少年漫画として仕方ないとは言え、偏り無くキャラが生きていた、紛うこと無く「陸上三課」全体の物語でした。ステッキンはちょっと地味でしたが。まあ彼女は電波ED担当ということで放置しておきます。ごめんなさい。&lt;br /&gt;　正直2クールで終わったのが辛かったです。こう思えたアニメは多分久々。後地味に各話のタイトルが好きでした。ちょっぴり洒落てるところがあった。「粗野にして美味」とか好きでした。&lt;br /&gt;　ホント2クールで終わるのは勿体ない。&lt;br /&gt;　次は「あさっての方向。」です。別にロリコンじゃないんだけど、からだちゃんは健気でかわいい。結構薄暗い話なんだけど、どこかにほんのちょっぴりの希望がある気がする。1クールで短くまとめられるそうなので期待もしています。&lt;br /&gt;　音楽の方は「あさっての方向。」EDの「スイートホームソング」が聞きやすかったのと、Suaraの「光の季節」を例によって聞いてます。後今更クロノクルセイドEDの「さよならソリティア」はSee-Sawの梶浦さんの編曲だということを知りました。同CDの「here we stand in&amp;nbsp; the afternoon dew」という曲も好きです。&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>Raise</dc:creator>
<dc:date>2008-01-22T08:57:26+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://hoshikuro.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_52c8.html">
<title>【それでも夜明けが来るのなら】「新年は二次創作から始めるっていうのはどうかな？」「…………」「なかなか良い始め方はねーな……」</title>
<link>http://hoshikuro.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_52c8.html</link>
<description>　最早何も言うまい。時間も無いし。明日から学校だなんて。 　タイトルは例によって...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　最早何も言うまい。時間も無いし。明日から学校だなんて。&lt;br /&gt;　タイトルは例によってユグドラの名台詞より。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（1）「それでも夜明けが来るのなら」（→&lt;a href=&quot;http://dq5.s49.xrea.com/patioz/patio.cgi?mode=view2&amp;amp;f=464&amp;amp;no=1&quot;&gt;こっち&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;　ユグドラ・ユニオンの二次創作です。ロザリィ×ロズウェル。実際にはこの二人これぐらい優しいと思うのですけどねえ。それにしても、やっぱりこの二人が同時に仲間にならないシナリオは好きです。中途半端に和解して両方仲間、とかだったらこういう小説も書かなかったことでしょうし。それにしてもユグドラはアイテムコンプが難し過ぎる。今年一年を象徴するような作品になること間違いありません&lt;br /&gt;（2）「ビスチェを紡ぐ」（→&lt;a href=&quot;http://sosaku.org/cgi/gendai/bright.cgi?key=20080103012008&amp;amp;log=&amp;amp;page=&amp;amp;action=html2&quot;&gt;こっち&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;　オリジナル。ビスチェは、ユグドラに登場した魅惑のビスチェ、から。&lt;br /&gt;（3）「月を食む犬」（→&lt;a href=&quot;http://dqm.s198.xrea.com/patio-s-huri-/patio.cgi?mode=view2&amp;amp;f=1435&amp;amp;no=03&quot;&gt;こっち&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;　オリジナル。心疲れてた。HNがRaiseでないのは釣り用だからです。ということで、厨ネームなのは僕には責任はありません。ありそうだけど本当にありません。&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>Raise</dc:creator>
<dc:date>2008-01-07T21:38:48+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://hoshikuro.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_1164.html">
<title>【光遊ぶ・アトラクシア】年明け前に瑠璃色な</title>
<link>http://hoshikuro.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_1164.html</link>
<description>正月前ですから鬱なんです。だから正月前のブログのタイトルとかもう責任取りません。...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;正月前ですから鬱なんです。だから正月前のブログのタイトルとかもう責任取りません。僕が悪いんじゃなくて、悪いのは寧ろ正月という行事を作った日本の昔の人達にあるわけで、でもいつから正月がこんなに嫌になったのか自分でも解りません。更にはみなみけの一期が終わったりして追い討ち状態。ちなみに夜明けなは見てません。今見てるのはパンプキンシザーズ。何がショッキングって桂ヒナギク（ハヤテのごとく）とかツメ（Wolf&#39;s Rain）とかカラス（バテンカイトス）とかよりもハロルドさん（TOD2）が出てることでした。声優って凄い。&lt;br /&gt;　例によって小説紹介。でも何か忙しくて殆ど書いてない。そのせいでクリスマスの定番である自虐も出来ませんでした。(´・ω・)クリスマス？　アニメですよ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;《小説》&lt;br /&gt;「光遊ぶ・アトラクシア」（→&lt;a href=&quot;http://dqm.s198.xrea.com/patio-s-huri-/patio.cgi?mode=view2&amp;amp;f=1419&amp;amp;no=1&quot;&gt;こっち&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;　例の30分即興作品。悔しいかなBUMP OF CHICKEN聞いてましたとも。「supernova」という曲が無闇に良かったのでそれをループ再生しつつ書いてました。BUMP OF CHICKENはこれと「睡眠時間」だけが好きかな。&lt;br /&gt;　中身は結構気に入ってます。一応小奇麗にまとめてみた。今はちょっと中編の方を手がけていて、中々短編の方に気が回りません。いつか完成したらそっちの中編もこっちに乗せておきたいなあ、とは思っていますが。中身は鬼束ちひろの「Las vegas」に多少影響受けてます。旅人については掘り下げませんでしたが、これぐらいで丁度よかったかなあと思っています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;《音楽》&lt;br /&gt;　・鬼束ちひろ「Las Vegas」ようやく入手。同時にeveryhome以前の鬼束ちひろはIpodから消しました。昔の着飾った音楽より、今の丸裸っぽい音楽の方が好き。アルバムの中では「BRIGHTEN US」と「蝋の翼」が断トツのお気に入りです。それから最近は「NOW」の力強さに惹かれます。「Rainman」「MAGICAL WORLD」のアレンジはちょっと飾り過ぎかな。「bad trip」は純粋過ぎてかえって聴き辛い、あまりにも停滞し過ぎてる感じ。「Sweet Rosemary」は旅人のイメージ。「Everyhome」が夜の旅人ならば、「Sweet Rosemary」は昼の旅人。&lt;br /&gt;　旅というのは、とても悲しいことでもあると思いますし、また人は産まれながらに時間の上で旅をしていかなければならない生物だと思います。だからといって、悲しんでいるばかりじゃどうにも出来ない。人生は長いのだから、旅はそれだけ長く続く。どうしてか、人は足取りを止める事も、そう簡単には出来ないのです。&lt;br /&gt;　・愛内里菜「眠れぬ夜に / PARTY TIME PARTY UP」「Mint」聴きました。「Mint」はちょっと酷い。「Yellow carpet」は今までの曲を焼き直した印象、特に「Set your free」と「Believe your bravery」とかの音を感じた。地味にまとまっていることは確かなんだけど。「眠れぬ夜に」はギターの使い方が少し気が利いていない気もするし、Aメロ・Bメロはエネルギー不足というか、アンニュイさが無い。それでもサビとCメロの声の伸びは半端ない。ここだけで充分に評価出来る。「PARTY TIME PARTY UP」は純粋に楽しい。「眠れぬ夜に」とセットで送ってくるのが心憎い。&lt;br /&gt;　・石川智晶「1/2」も聴いた。「1/2」はイントロのコーラスは無い方が良いかもしれない。ただ歌声は虚無感というか、無常観というか、とても美しいけれど、少し悲しい、そういうものを感じる。歌そのものは全体として石川さんのメロウな声を充分に生かし切れている印象。「砂の上のドルフィン」は曲はともかくとして、歌詞が凄い。曲も充分に良いんだけど、本当にこの歌詞は美しい。安らかで、弱々しいのだけれど、優しい闇の中での、輝かしい目覚め、みたいな。「水槽の中のテトラ」が昼ならば、「砂の上のドルフィン」は夜。&lt;br /&gt;・色々とクラシック買い漁った。有名なのばっか聞きました。良かったもの一つはサン＝サーンスの「動物の謝肉祭」で、道化めいた音の移り変わりが大好きです。その癖、ちょっと気取ったような神秘性が好き。「ぞう」「水族館」「森の奥のかっこう」「白鳥」の四曲がお気に入り。それからシュトラウスの馬鹿っぽさが好きです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;【小説】&lt;br /&gt;　・吉本ばなな「キッチン」「白河夜船」&lt;br /&gt;　「キッチン」はどこぞで書いたので省略。&lt;br /&gt;　「白河夜船」はアンニュイな眠りの感覚を美しく描いてる三作。全て「目覚め」までの道程を細く美しく描いているのだけれど、ただ死者（永遠に失われたもの）が居なければこの世界観は成立出来ないように思う。それが少し残念。個人的には「白河夜船」のメロウ・チューンのやわらかでスローテンポな愛より、「夜と夜の旅人」の時間の無情さと、しっとりした寂しさ、の方が好き。&lt;br /&gt;　・北杜夫「酔いどれ船」&lt;br /&gt;　最後の「或る一人の女の物語」で「獣性」を拾ってくるのはどうかなあ、という印象。そこまでの物語が丹念に仕上げられている分、何もこんな風にしてまで野蛮で力強いリリシズムの舞台を作り上げなくてもなあ、という印象。ただ、ミスマッチであるのは確かなのだけれど、プロローグとエピローグの醜いまでに情熱的なリリシズムは本当に美しい。その途中に挟まれる物語としては、「或る一人の伯母の物語」がとても面白かった。煩雑だけど猥雑なエネルギーに満ち溢れた街。その描写がとても心地よかった。&lt;br /&gt;　・ツルゲーネフ「ルーヂン」&lt;br /&gt;　ルーヂンはただ滑稽な空想家でしか無い、というのが最初の感想だったが、最終的に戦争に出ていったところには何とも悲しい情熱を感じたし、ツルゲーネフ本人のフォローもあってか、次第に意見が変わった（嫌悪感を感じるのは変わりないが）。ナターシャのところのルーヂンはあんまりにもヘタレである。しかし、思うのは、果たして彼が滑稽であることを笑える人間の何人が、このような滑稽な情熱に身を浸せるのだろうか。&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>Raise</dc:creator>
<dc:date>2007-12-31T23:38:32+09:00</dc:date>
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